昨日本当に久しぶりにブルージュへ行きました。2月に行って以来なので、実に8ヶ月ぶりでした。
というのも、義母が亡くなってしまったからなのです。
義母は義父が亡くなってから一人で生活していましたが、昨年くらいから非常に調子が悪くなり、一人での生活はもう無理なのではと、レジデンスという老人用マンションに入居していたのです。
そこはホテルのような感じで、入り口には必ず受付の人がいて、常勤の看護婦さんに、食事は1階のロマンチックレストランで食事をするか、部屋に運んで貰えるか選べるという、本当に年を取った人の為にはぴったりの場所でした。
買い物も洗濯も家事も全てそこの人に頼むことができるというマンションで、メイドさん付き、老人マンションでしたが、ドイツであれば5,000Euroくらいはかかるという話ですが、ベルギーは伝統的にそういったものはリーズナブルで、どうやら半額以下のようでした。
その上ドイツのお食事よりは確実に美味しい食事が出るわけですから、人生の半分以上4分の3くらいはベルギーで暮らしていた義母にとってはドイツで過ごすよりも本当に良かったのです。
ですが、どうしても病には勝てず、金曜日の夜に息を引き取りました。
コロナではなかったのだけは幸いでしたが(コロナだったらもっと悲しでしょうから、家族中本当に悔しい思いをしたことでしょう)、コロナでベルギ-はロックダウンになり、この2ヶ月うちの主人も子供達も義母を訪ねることができず、そんなことも義母の生きる力を奪ってしまったのではないかと思うと残念でたまりません。
結婚後、義父と共にパリに住み、二人でフランス語を勉強して、EUの職員となり、10年前までバリバリ働いていた義母でした。
EUのスポ-クスマンの第一秘書という仕事ではありましたが、父親を子供時代に亡くし、盲目のお祖母さんを抱えた義母の母と3人の兄弟で一生懸命生きてきて、もちろん大学も行けず、最終的にEUという場所で一生の職を獲得した、本当に立派な人だったと、亡くなった今改めて思いました。
私は義両親と25年前に初めて会った時から、いつもいつもを美味しいレストランへ連れて行ってくれて、食前酒はキールかキールロワイヤルでゆっくりと楽しむことや、ワインは注文したコ-スと同じくらいの値段のものを選ぶのが良い、というようなことも義両親を見て知りました。家にはいつもNeuhausのトリュフがおしゃれに並べられていて、家具や絵はアンティック、ゆったりした重厚なソファ-で家族とゆっくりすることなど、何も知らないことばかりだった私に豊かな生活を教えてくれた義両親でした。
子供達が注文したい料理はどんなに子供が小さいときでも値段は関係なく選ばせてくれましたが、その当時は「なんで子供用のを食べさせないのか」とか不満に思ったりしていた私でした。今考えると本当に不満に思うことすら申し訳なかったです。
実際考えると、私と主人がいつか自分の孫達にそういう贅沢なことをしてあげられるでしょうか、多分とても難しいと思います。
毎年秋にはヨーロッパのどこかの都市へ数日の旅行と、冬にはスキ-旅行、夏にはブル-ジュの近くのオストエンデの海水浴と、うちの息子達には本当にたくさんの素晴らしい経験を与えてくれたと今本当にわかります。
…にもかかわらず…私はあまり良い嫁ではなかったと思います…。
それだけが本当に今となると申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
今更後悔しても遅いですよね…馬鹿でした…。
お葬式は今週の金曜日ですが、義母の冥福を心から祈りたいと思います。

(義母のいた老人マンションのレストラン)

(ロビ-の吹き抜けの美しいホール)

(フロント近くの入り口です)

(昨年のクリスマスのレストラン、いつも本当に素敵なレストランでご馳走してもらいました)
今となると良い思い出しか思い出せず、悲しい気持ちがこみ上げてきます。
最後が、コロナで大好きな一人息子の主人や孫達に思うように会えない、つらい1年だったというのが、本当に可哀想でした。
でもコロナで亡くなったのではないことだけがせめてもの救いです。