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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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イスラム教徒の友人との最近の出来事 その2

前回の20年来のママ友のイスラム教徒の友人に対して私がどのように返事をしたか、書くと言ったままずい分と時間がたってしまいましたね。色々忙しくしておりました。すみません。

彼女からのモスクへ行く誘いを受け、今回は正直に言うのが一番だと心を鬼にして答えました。
「ごめんなさい、好奇心で聞いただけで、今モスクへ行く必要はありません。そもそも私はイスラム教のような強い信仰心が必要な宗教は信じることはできません。それにあなたとは宗教の話はしたくないんです。あなたと私は全然違う方向ですよね。それでもあなたにとって私は友人でいられることを願っています。」
彼女からの返事は
「もちろんイスラム教でも、また一般的にも人に宗教を強制することはできません。皆自分の信じるものがあるのは当然です、だからあなたが私と宗教のテーマで話したくというのは理解します」と言ってくれたので、そこでやめれば良かったんですが
「私は日本人ですから、八百万の神を信じることはできても、たった一人の神様だけを信用することはできないです」
と書くと、彼女からのメッセ-ジはそれっきりなくなりました。
私からもその後何も書いていないまま、2週間が過ぎているので、次回どんな風に会えばいいのか、正直困っています。

この私の八百万の神様全面肯定発言はヨーロッパ人と話していても、大抵は妙に思われます。
キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒は同じ神様を信仰し、その中で諍いをしているわけですから、
「神様はたった一人だけ、複数の神様なんてあり得ない」というものすごい強いものがあるわけなんですが、私は日本育ちですから
「日本ではトイレにも台所にも神様がいるし、亡くなった方は仏様で神様のようなもの」とドイツで言えば、びっくり仰天、あり得ない、という顔をされますよ、大抵は。
なのでその時には
「でもギリシャもロ-マのたくさんの神様だったし、だいたいドイツも昔はゲルマンの信仰ではたくさん神様がいたじゃないですか、インドもそうだしね」と言うと、なんとか納得してくれますが、この件に関してはイスラム教徒だけじゃなくてキリスト教徒だって相当頭がかたいし、ユダヤ教徒にこんなことを言えば、一瞬でそっぽ向かれるかもしれないな、と思います。

…でもね、神様がたくさんいる日本だから、他の宗教に寛容で、なんでも受け入れる良い国なのにね、なぜたった一人の神様を取り合って喧嘩になるのかその方が私には理解するのが難しいのですけれど。。。

それで数日後にもう一人のやはり20年来のママ友グル-プの一人だったイギリス人の友人とこのテ-マについて話しました。
というのも彼女のご主人はパキスタン系イギリス人でイスラム教徒だからなんですが、彼女の人生で2度くらいしかモスクへ行ったこともなければ、彼女自身は改宗もしていないので(男性のイスラム教徒は異教徒の女性で結婚するのは許されていて、イスラム教徒の女性はイスラム教徒の男性ではないと結婚できないので、夫になる人は改宗しなければなりません)、まるっきりイスラム教には感心すらありません。
それでその22歳の息子さんに恋人ができたんですが、ドイツ人の女の子で気がきかない子であまり気に入らないのだそうですが(彼女が誰かを気に入るというのもすごくまれなんですけれど)、それでもイスラム教徒の女の子とつきあい、息子がイスラム教徒に改宗しなければならないよりは、まぁまし、イスラム教徒のお嫁さんは絶対嫌だと言ってましたっけ。

で、その一連の私達の話を隣で聞いていたドイツ人のカトリック教徒の友人は、
「でもやっぱりたくさんの神様は理解できないわ…」とつくづくつぶやいていましたっけ…。
宗教って本当に難しいです。

私の大好きな考えはカトリック系の小学校時代にシスタ-でいらした校長先生が
「全ての山の頂上は1つですが道はたくさんあります」というものでしたが、私はそれを
「だからどんな教えを信じても良いということなんだな」と受け取っていたわけで、多分先生もそのような意味でおっしゃっていたのでしょうけれど、欧米のキリスト教徒はまた違う感覚があるようで、私の敬愛していたシスタ-方のそのような感覚は、やはり非常に日本的な宗教観から来ていたのかもしれません。

ですが、国によって人々の考え方が違えば、宗教観が違ってくるのも当然のことですから、日本人でありながら、
「私はクリスチャンだからお寺も神社も行きません」という風になる方が、なんだか妙な感じと私は思うわけなんですが…・。

一番大切なのは自分の信仰を持っていても他者の信仰に寛容でいることだと思うので、それができないのであれば、良い友達でもずっとつきあっていくのは難しいということですよね。

あと宗教があってもなくても世界の人々の争いは減らないでしょうから、そういう意味では宗教って本当に役にたっているのかはわからないですよね。争う理由として役に立たなければ良いのにな、と思ってしまいます。

でも私も「なんで世界の人は日本のように宗教に寛容になれないのかしら」とよく思って口に出してもいるんですけれど、これも自分の考えの押し付けにならないようにしなければいけないのかな、と最近ふと思ったりした一連の出来事でした。


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