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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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イスラム社会から見た欧米 その2

アルカイ-ダとイラク、そして周辺諸国を整理すると、

1990年代以降、主としてアメリカ合衆国を標的とした数々のテロ行為を実行し、2001年アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるウサーマ・ビン・ラーディン(スンナ派ムスリム教徒)ですが、彼はサウジアラビア出身のイスラム過激派テロ組織アルカーイダの司令官でした。

ウサーマ・ビン・ラーディン氏ですが

1979年 アフガニスタンのソビエト軍と戦うためにムジャーヒディーンに
      ムジャーヒディーンとはイスラム世界に対する侵略に対抗する
      民衆の抵抗運動のことで、1979年にソ連軍が軍事介入すると
      イスラム世界の各地から志願兵が集結

1988年 ペシャーワル(パキスタン)でアルカーイダを組織
1996年 アフガニスタンに移動しイスラム原理主義勢力・タリバーンの
     庇護へ
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件
2001年9月12日 ジョージ・W・ブッシュ(子)大統領による
      テロとの戦い宣言
2001年10月7日 米英をはじめ有志連合諸国によるアフガニスタン侵攻
アルカーイダを匿うターリバーン政権に対してNATOが自衛権を発動
2001年11月  タリバ-ン ビンラディンにアフガニスタンの市民権を
       与える
     年末  ターリバーン政権崩壊
2004年10月9日 アフガニスタン・イスラム共和国 成立
2011年5月2日 パキスタンにおいてアメリカ軍によりウサーマ・ビン・
        ラーディンの殺害が確認される

1991年に湾岸戦争が勃発した最、当時サウジアラビアに帰国していたビン・ラーディンはイラク軍からサウジアラビアを防衛する計画をたていたにも関わらず、サウジアラビアがアメリカ軍をイスラム教徒の2大聖地であるメッカとマディーナに常駐させたことで反米感情が高くなったといわれています。

父のムハンマド・ビン・ラーディンは元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員で、また、ウサーマの長兄のサーレムは前アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュがかつて経営していた石油会社の共同経営者(サーレムは1988年に自らの飛行機の操縦ミスでテキサス州サンアントニオで死亡)だったというのは驚きですが、しかしながら、1994年頃ラーディン家は、ウサーマを一族から追放し手ばなしていたそうで、2001年の頃には彼の一族とのつながりは全くなかったそうです。


さて一方その頃のイラクはどうなっていたかといえば、

2003年4月- 2004年6月  アメリカ・イギリスを中心とする連合国
            暫定当局 (CPA) によって統治
2003年12月13日 サダム・フセインがダウルで拘束され
2004年6月2日 イラク暫定政権発足
2005年4月7日 ジャラル・タラバニが初のクルド人大統領に就任
2006年4月22日 イスラム教シーア派勢力のヌーリー・アル=
        マーリキー首相に選出
2006年12月30日、 マリキ氏、フセイン元大統領に死刑執行

さてここで登場のクルド人ですが、イラクの反体制活動を繰り返してきた、イラク内少数民族だったクルド人に積極的にクルド人に武器・経済支援を行ったのはもちろん、アメリカ・イスラエルで、イラク国内テロを後押し、その上資本の支援をも行ない、イラク内のクルド自治区は第2にのドバイとよばれるほどに発展していきます。

もともとイラクでは国内のシーア派住民とクルド人がフセイン政権への反乱を起こしていたのですが、ここにきて、なぜか少数派のクルド人武装勢力の長として武装闘争に関与してきた、タラバニ氏がイラクの大統領に就任し、シーア派のマリキ氏(フセインはスンニ派アラブ人)が首相となった不自然さの残るイラク政府でした。しかしながらもともとのフセイン体制においても、イランとの戦争をけしかけたのは欧米なんで、今更何をいわんや…ということですね。

そしてついに欧米が少数派であるクルド人勢力を不自然なほど支援し続けてきた影響が噴出、イラク人スンニ派がアルカイダ系勢力と結合し、シーア派・スンナ派・クルドの三つ巴の紛争に発展!!

そして次に出てきたのがリビアとシリア問題なんです。

当時まだ強固な独立政策が維持されていたリビアは、NATOに空爆され、体制転覆。

そしてもうひとつ欧米に不都合だったのがシリアのアサド政権で、欧米は反アサド派のクルド人勢力、自由シリア軍、アルカイダ勢力に武器・資金を供給しシリアの政権転覆をはかります。
この欧米のメディアでは「内戦」と呼ばれていたシリアの騒乱は、アサド大統領にとっては「外国の侵略」以外のなにものでもありませんでした。

その上、ここでも驚愕の事実があって、この当時のアサド政権下に苦しめられている人々の映像はシリア反政府勢力側にとって捏造されたものばかりだったとは、私のように平和ボケで育った日本人にとうてい考えすら及びませんが、狡猾なことが得意のさすがの欧米人だってなかなか気づくのは難しいかもしれません。もちろん欧米の上層部は知っていたでしょうけれどね。
(知っていたどころかそうするように仕向けていたと聞いたところで、今更びっくりもしないですが…)

イスラエルによるガザ虐殺の利用を用いてアサド政権による迫害としていたり、1982年のイスラエル軍の指揮によるイエメンの難民キャンプにおける迫害行為の被害者の映像がシリア反政府勢力のキャンペーンで再利用されていたりしたそうで、大昔に亡くなれた方たちを冒涜する行為は人道的に許されていいのかと誰もが思うことでしょうが、事実そのようなことが行われていたようです。

でも話を元に戻すしますと、こうやって中東では次々と欧米に侵略され、めちゃくちゃにされ、傀儡政権だらけの国になっていく中、イスラムに基づく国家建設による体制からの独立を目指す運動の中から「サイクス・ピコ体制」に対する不満が急浮上。

サイクス・ピコ協定とは、第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定ですが、ここでももちろん出てきて勝手に人の土地を分割していた世界三大我が物顔大国でした。
イスラム国はもともと、シリアの反体制勢力でしたが、欧米の投下した資本・武器を吸収し、2014年、イスラム世界の統一を目指すイスラム国が急速に勢力を拡大しついに新国家樹立を宣言するほどになります。

歴史の表舞台に、ついにISISの登場です。
こうやってイスラム社会側から歴史をたどっていくと、悲しいことに出るべくして出てきたしまったイスラム国の存在が見えてきます。


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