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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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西ロ-マ皇帝カ-ル3世

ではカール肥満王とシャルル単純王はどちらが歴史的には
カール3世として認識されている人物なのでしょうか。

2人ともカロリング家出身という点では同じカ-ル大帝の
後継者ではあります。
ですがカール大帝は、フランク国王であると共に、西ローマ皇帝でもありました。

この時代に必要なことは、西ロ-マ帝国とは実際はフランク王国のことだけれど、
カール大帝の孫の代には、西フランク、東フランク、中部フランクが分離したために、
西ローマと西フランクはそれぞれ別個に見ていかなければいけないということなのです。


歴代西ロ-マ帝国皇帝(フランク王)は

カ-ル大帝(在位800年 - 814年)
ルードヴィヒ1世敬虔王(カール大帝の子)
(在位816年 - 840年)
ロタール1世(ルードヴィヒ敬虔王の子・中部フランク王)
(在位840年 - 855年)
ルードヴィヒ2世(ロタールの子・中部フランク王)
(在位855年 - 875年)
カール2世(シャルル1世)禿頭王(ルードヴィヒ敬虔王の子・西フランク王)
(在位875年 - 877年)
カール3世肥満王(ルードヴィヒ敬虔王の孫・東フランク王)
(在位881年 - 888年)
グイード・ダ・スポレート(ロタールの孫・イタリア王)
(在位891年 - 894年)
ダンベルト(グイード・ダ・スポレートの子・イタリア王)(在位891年 - 898年 父グイ-ドと共同統治)
アルヌルフ(カール3世肥満王の甥・東フランク王)
(在位896年 - 899年)
ルードヴッヒ3世盲目王(アンヌルフの子・東フランク王)
(在位:901年 - 915年)
ベレンガーリオ1世(イタリア王・最後のフランク・ローマ皇帝)
(在位915–924)
ハインリヒ1世(ザクセン朝ドイツ王国の初代国王)

regenten.jpg

(わかりにくい場合はこのカロリング家の系図も合わせてご覧ください。
 ブル-が西ロ-マ皇帝、カール3世肥満王まで載っています。)


ところで、歴代西フランク王国の王は、

シャルル1世(カール2世)禿頭王
ルイ2世吃音王(シャルル1世の子)
ルイ3世(ルイ2世の子)
カルロマン(ルイ2世の子)
カール3世(シャルル2世)肥満王(摂政)
パリ伯ウード(摂政)
シャルル3世単純王(ルイ2世の末子)
パリ伯ロベール1世(ウードの弟)
ブルゴーニュ公ラウール(ロベール1世の娘婿)
カロリング家ルイ4世(シャルル3世単純王の子)
カロリング家ロテール(ルイ4世の子)
カロリング家ルイ5世(ロテールの子)
ユーグ・カペー(ロベール1世の孫)


そもそそも西ロ-マ帝国の皇帝の地位は、ルードヴッヒ敬虔王の
長男ロタ-ル(カール大帝の孫)の時には、兄弟間の揉め事で、
フランク王国は3つに分裂したために、だんだんと名目上だけの実質を
伴わない、ローマ皇帝位となりつつありました。
中部フランク国、西フランク国、東フランク国と今のイタリア・フランス・ドイツの
境界線の原型が形成され、3つの国王の誰かが西ロ-マ皇帝位も兼任する形と
なったのです。当然権力は分散された上での皇帝なわけですが、それでも
カール大帝のこの大帝国はあとに神聖ロ-マ帝国が受け継ぎ、フランスのみならず
ドイツの基礎ともなるわけですから、歴代西ロ-マ皇帝はヨ-ロッパ史上歴史に
残る皇帝達ではありますね、権力は別として。。

それで2人のカ-ルの話に戻ると、カ-ル肥満王もシャルル単純王の
後見人として西フランク王になっていますが、そもそもそれは一時的なことであり、
また東フランクのよそ者として西フランク人には好意を持たれていなかったからとか、
あるいは後のカペ-家となるウ-ド達と対立したために、その名を
無視されたからだとか諸説はあるようですが、とにもかくにも
フランス語での彼の正式な称号はあくまでも摂政であり、王ではないのです。
だからフランスから見た時には、西フランク国でのシャルル3世とは
絶対にこの単純王のことなのです。
ただし西フランクの初代王をカール大帝ではなくて、シャルル1世(カール2世)禿頭王と
して換算すると カ-ル肥満王はシャルル2世と換算することも可能です。

またシャルル単純王も911年から922年頃までロタリンギア王(イタリア)
にもなりますが、それでも彼は西ロ-マ帝国皇帝としての戴冠はうけていません。
カ-ル肥満王は、呼び名に似合わずななかのやり手だったのか、
いつのまにやら西ロ-マ皇帝としても即位しています。
彼はまた西・東だけにのみならずイタリア王でもあった歴代3人目に
して最後の西ロ-マ・フランク皇帝でもあります。
カール大帝とルードヴィヒ1世敬虔王とこの肥満王だけがフランク王国
全土の統一を果たした王でもありましたから、そう考えるとこの肥満王は
一見なかなかあなどれない人物のようではあります。
ただ西とイタリアの王位は、あいつぐ親戚の死によっての王位獲得でしたし、
彼には王として才能も熱心さもなく、癲癇を患っていたような人物だったということで
かなりの強運が彼の運命に味方しての結果だったようですが。。。
真偽は別として、そんな風に後世で言われているは、たぶん呼び名の通り、
魅力の欠ける王様だったのでしょうね、きっと。

なので西ロ-マ皇帝としてみれば、カ-ル肥満王がカ-ル3世であり、
一方フランスの歴史から見れば、シャルル3世単純王が
シャルルマ-ニュのフランク王国からフランスへと
続く西フランクのシャルル3世になるわけです。

しかし西ロ-マ皇帝、そして後に続く神聖ロ-マ帝国の
歴代皇帝のカール3世は誰か?! という問いの答えは
カ-ル肥満王こそがカ-ル3世だということは
この説からおわかりいただけたことと思います。

今回は西フランクこと後のフランスと、フランク王国こと西ロ-マ帝国の
関係を見てきたので、次は東フランクと西ロ-マ帝国、それに続く神聖
ロ-マ帝国(後のドイツ)の関係へと焦点をかえていきたいと思います。

2007_12_hy_klein.png
(西ロ-マ皇帝 カ-ル3世肥満王)

220px-CharlesIII_le_simple_Jean_de_Tillet-Recueil_des_rois_de_France.jpg
(西フランク王 シャルル3世単純王)

*だからこのお2人は日本語で表示の際には、ドイツ語読みと
フランス語読みで名前を統一するととてもわかりやすいですね。

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