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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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カール3世肥満王-最後のフランク王国統一皇帝

カ-ル3世とよばれている王様は実は2人います。
カール肥満王とシャルル単純王です。

東フランク王ルートヴィヒ2世(ルートヴィヒ敬虔王の息子)とその王后
エンマの息子シャルル肥満王(独語:Karl III der Dicke,仏語:Charles le Gros 
839年頃 - 888年)は、東フランク王国の国王そして、西フランク王国国王も兼ね、
シャルルマ-ニュ以来のフランク王国の統合を果たし西ローマ皇帝となります。
その3つの在位の期間は881年から887年までとわずか6年という短い在位では
ありましたが、歴史的には彼が最後にフランク王国の統一を果たしたフランク王国
の国王(つまりロ-マ皇帝)であります。

もう一人のカ-ルはやはりフランク王ルイ2世吃音王(シャルル禿頭王の息子で、
ルートヴィヒ敬虔王にとっては孫にあたる)と、その2人目の妻アデライ-ドとの間
に生まれたシャルル単純王(独語:Karl III. der Einfältige,仏語:Charles le simple
879年- 929年)です。
彼が生まれる半年前に父王ルイ2世は逝去、2人の異母兄(ルイ3世とカルロマン)が
共同で王位を継いでいたものの、こちらも早逝したことによって東フランク王国のカール
肥満王が西フランク王を兼務して、シャルルはカール肥満王に後見されることとなります。
その時シャルルはわずか5歳、一方カールは45歳でした。
東フランク王のカ-ル肥満王は、このおかげで一時的に西フランクの王位も継ぎ、
カルロマンから相続していた中部フランク王国(ルートヴィヒ敬虔王の長男ロタ-ルが継承。
現在のイタリアの上半分、プロヴァンス、ブルゴ-ニュ、西アウストラシアにあたる地域。
ちなみにアウストラシアとはフランス東部とドイツ西部、そしてベルギ-、オランダ、ルクセン
ブルグのあたり)のイタリア王でもあったため、肥満王なんて変な呼び名がつけられているにも
かかわらず、カール大帝以来、西ヨ-ロッパほぼ全土の王位を手中に収めた最後の
ロ-マ皇帝でもあったわけです。

フランク王国を実質的には再統一(884年-887年)した肥満王ではありながら、
その当時大問題だったバイキングの来襲で無能さをさらけだし、ノルマン人・サラセン人
・マジャ-ル人との戦いにてパリを護った英雄ロベ-ル家のパリ伯ウ-ド(ヴァイキングと
の戦いの勇者ロベ-ル豪胆公の息子)に、888年に王位を奪われます。
カロリング家以外の、はじめて世襲ではない王が誕生しますが、カール肥満王同様、
シャルル単純王が成年に達するまでの後見人としての一時的な王位でした。
当時まだカロリングの血筋のほうが強かったのでしょう。
最終的にはシャルル単純王を担ぐ一族や、シャルル単純王との3年わたる争いを経て、
西フランク国王位をシャルルに引渡し、898年に没します。

しかしながら、このウ-ドの弟ロベ-ル1世の一人息子ユーグこそ、後のフランス
王家のカペ-朝最初の王で、フランス王朝のヴァロア家もブルボン家もカペ-朝の
傍流の出で血統的には同じ一族ということで、800年以上のフランスの王権を保つ
こととなるので、最終的には彼の業績は実ることになりわけですが、それまでまだ
40年近くの歳月を待つ必要があります。

長くなったので、カ-ル3世という名前のもうひとりのシャルル単純王の
話はまた次回に持ち越しです。
karl 3
(カール肥満王  もう少しカッコ良く修正することはできなかったんですかね。。)

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