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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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西ロ-マ帝国皇帝カ-ル2世にして西フランク国王シャルル2世

神聖ロ-マ帝国カ-ル5世、カ-ル4世が出てきたら、
カール1世から3世とは誰のことなのかちょっと気になってきませんか?

カ-ル1世とはもちろんシャルルマ-ニュことカ-ル大帝の
ことですが、ではカール2世とはいったい誰なのでしょう。

カ-ル大帝の息子で、最後のフランク国王にあたる
ルートヴィヒ1世敬虔 王には3人の息子がいまして、
フランク王国は当初その3人によって、中部、東西フランク王国に
3分割される予定でした。
ところが第2妃ユーディットとの間に末弟カ-ルが誕生したことによって
カールにも領土を与えることを後から決定したため、深刻な争いが
巻き起こります。
上の兄弟は自分たちのものになるはずだった領土が削減されたことに
よって不満を募らせ、832年に3人で結託して父敬虔王に氾濫を企て、
なんと敬虔王から帝位を奪い取ってしまうのです。
ですが今度は3人が仲違いを起こし、2年後には敬虔王は王位に
返り咲き、それから数年後に次男ピピンが死去して、このお家騒動は
終結するどころか、ますます激化していくことになります。

840年には敬虔王もついに薨去、ここに来て、王国全土の支配を目論む長兄
ロタ-ルにルートヴィヒとカールが対抗して同盟を結び、ロタール軍を撃破。
842年には、例のドイツ語・フランス語でそれぞれ宣誓したという
ストラスブールの誓約を発布し、翌年843年8月10日に
ルートヴィヒとカールはヴェルダンにおいて、
王国を3分割する案をロタールに呑ませます。
これが有名なヴェルダン条約です。

このヴェルダン条約によってカロリング帝国 はシャルル2世
(カールの仏語)の西フランク王国、ルートヴィヒ(ちなみに仏語ならルイ)
2世の東フランク王国そしてロタール1世の中部フランク王国
(イタリア、ロタリンギア、プロヴァンス)に分裂。
map843.jpg
(オレンジ:西フランク 薄緑:中部フランク  濃い緑:東フランク)

ロタール1世のローマ皇帝としての帝位は保たれたものの東西
両フランク王国に対する宗主権は失われ、統一フランク王国は事実上消滅。
そしてそのロタール1世が没すると、870年のメルセン条約によって
中部フランク王国は分割されプロヴァンスは西フランク領、
ロタリンギアは東フランク領になり、皇帝ロドヴィコ2世(ロタール1世の
長男)にはイタリアと西ローマ皇帝の称号のみが与えられ、
ここに現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型が誕生します。

シャルルは皇帝ロドヴィコ2世がイスラム軍と戦争で忙しい最中に、
ロタールの遺領であるロタリンギア(現在のロレーヌ)を奪ったり、
その皇帝ロドヴィコ2世が後継者なしに崩御した際には、
ロドヴィコ2世が後見人と定めていた東フランク王ルートヴィヒ2世を
教皇の支持を取り付けることで破り、イタリア王国および、
なんとローマ皇帝位までも手中に収めてしまうのです。

そして初代西フランク国王シャルル2世にして、西ロ-マ帝国皇帝
カール2世の誕生です。
彼はシャルル禿頭(とくとう)王と呼ばれました。
この方の禿頭(はげ頭)という呼び名から、えっ禿げてたの? と
誰もが思うはずですが、彼がはげていたという史実ははっきりとは
残っていないようで、真意のほどはわかりませんが、ただ毛深い人では
あったという説も。しかしながらそれも確かな史実ではないそうで、
ただの皮肉でそう呼ばれていたのではないか、という説もあるそうです。
300px-Charles_the_Bald_(823-877).jpg
この肖像画で見る限りではなかなかイケメンですよね。
でもこの絵は後世に描かれたのでしょうから、まったくあてに
ならないとは思いますが。。。
220px-Couronnement_dun_prince_-_Sacramentaire_de_Charles_le_Chauve_Lat1141_f2v.jpg
こちらの絵では真ん中のお方が、カール2世で、2人の教皇様に
囲まれています。こちらの方は当時に描かれたものでしょうね。
(独:Karl der Kahle 仏:Charles II le Chauve)

823年6月13日、フランクフルト・アム・マインで生まれ、
54歳の生涯でした。


では次回は、引き続き西ローマ皇帝カ-ル3世へと続きます。

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