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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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フランク王国の言語ー古フランク語とドイツ語・フランス語の関係

神聖ロ-マ帝国皇帝カ-ル5世が「余は神にはスペイン語で、ご婦人には
イタリア語で、男にはフランス語で、馬にはドイツ語で話しかける。」という
逸話が残っているくらいなので、彼が生まれた1500年には、既に明確に
人々に違う言語であると認識されていたドイツ語やフランス語ではありますが、
カール大帝(742年から814年)の頃にフランク王国で話されていたと言われる、
古フランク語(ドイツ語: Altfränkisch、フランス語: Vieux-francique 英語:
Old Frankish オランダ語: Oudfrankisch)とは、では一体どんな言語だったの
でしょうか。

古フランク語そもそもは西ゲルマン語(西ゲルマン語群の代表的な三言語は
英語、オランダ語、ドイツ語)に属しているそうで、古フランク語とはつまり、
当時のフランク王国の今で言うオランダ・ベルギ-の地域で話されていた
低地ドイツ語、つまり現代のオランダ語になったもともとの言語だったそうです。
フランク族(Frankとは自由人のこと)がもともとはあるゲルマン人部族から来て
いることを考えれば、古フランク語とはつまりは今で言うドイツ語の元だったの
かと思えば、オランダ語がより近いとは驚きでした。

またフランス人の「french」という言葉自体が「 Frank(フランク人)」からの
名前であることを考えれば、フランス人もフランク族だったのでは? という
疑問がわきますが、この「french」は地名(現在はベルギ-やオランダの
一部のガリア・ベルギカという地域)ぼ土地に住んでいた人達の総称であり、
「フランス人」はもともと「ケルト人、ラテン人(ローマ人)及びチュートン人
(当時のドイツ人)の混血」という説があります。
(ただそうは言うもののフランク人から21世紀のフランス人へは直接の
血統のつながりを見出すことはほとんど不可能だそうですが)

ではユリウス・シーザーで有名な『ガリア戦記』のガリアや、でまた現代の
フランス人が、ガリア人を自分たちのルーツ・祖先として意識して、アフリカ系
黒人やアラブ移民系フランス人達に対して、自分たちフランス出身の白人を
「ゴーロワ(Gaulois)」つまり「ガリア人」と呼び分けることがある、というその
「ガリア人」とはなんだったかといえば、古代ローマ人にとっては、「ケルト人」と
「ガリア人」は同義語であったそうで、というのも、もともと「ガリア」と呼ばれて
いたフランスの地には、ガリア人と呼ばれるケルト民族が住んでいたからなの
だとのこと。ただ単にガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した
ケルト系の部族が「ガリア人」と言われたのだそうです。

…と、フランク語からずいぶん話がずれてしまったので、また話を言語のことに
戻しますが、そういうわけでフランス語とは、ラテン語以外に、ローマ以前の
ガリアで用いられていたケルト語、ゲルマン系の古フランク語、そしてノルマン語
の影響を受けている言語なのだそうです。

フランス語はこんな風に
ラテン語→ロマンス語(オイル語系)→古フランス語→中期フランス語→フランス語

ドイツ語はこんな風に発展したそうですが
西ゲルマン祖語→古ドイツ語(それぞれ高地・中部・低地の3つの方言がある)→中ドイツ語→新ドイツ語

380px-Fränkisches_Sprachgebiet
(黄色:低古ドイツ語、緑:中古ドイツ語、青:高古ドイツ語が使用されていた地域)


とまあ、こんな感じでドイツ語とフランス語は、もとも違う言語から、
その上独自に発展していったものの、フランク王国の勢力の強さで、
当時かなりのフランク語の影響をフランス語も受けたそうです。

というのもオランダ語になった低ドイツ語だけではなく、今のドイツ語の
もとになった古高ドイツ語や古中ドイツ語もかなり話されていたわけで、
あまりに広大な王国だったため、1つの言語を使うなんてことは無理で、
みなそれぞれが方言で話していたと考えるのが普通でしょう。

フランク語もラテン語と互いに影響しあっているはずなので、ゲルマン祖語
から2000年も前に枝分けれした英語でさえもドイツ語や、ラテン語系フランス語
の影響を受けながら発展していったようですが、そんなことを色々考えると面白いですね。

なのでドイツ語を勉強していると、ドイツ語はゲルマン系、フランス語はラテン系、
なのにどうして似ているんだろうと感じるときがあるのはこういった理由からなの
かもしれません。
ロ-マ帝国のおかげで、フランク王国の長年の公式言語はラテン語であったわけ
ですから、ラテン語の影響が大きいのは当然ですが、フランク語の影響も大きいとは
少し驚かされました。

ただ、カ-ル大帝の次の世代はどんな言語を使っていたのかといえば、
息子ルイ敬虔王の子供であり、カール大帝の孫にあたる2人が、
長兄ロタール1世に対抗するために協力して宣誓した、「ストラスブールの誓い」
(仏: les serments de Strasbourg、独: die Straßburger Eide)では、
東フランク国王ル-ドヴィヒ2世は古高ドイツ語(チュートン語と言った)にて、
西フランク国王シャルル2世禿頭王は古フランス語(まだロマンス語だった)
にてお互いに相手国の言語を用いて兵の前で宣言し、両国の兵はそれぞれ
自国の言語で誓いを行ったという記録が残っているとのこと。
(記録ではそれらの2言語のほか、ラテン語でも残っています。)

842年のことですが、その時にはフランク国内でこの2つの言語 ドイツ語と
フランス語はラテン語並みに強くなってきていたということでしょうか。
つまりフランク王国とは言っても、古フランクよりもその頃は実は古いドイツ語や
ロマンス語を理解できる人々が多かった、ということの証明なのかもしれません。

フランク族の言葉だった古フランク語が、ラテン語はじめ英語やフランス語に
影響を与えことはあっても、フランク王国の隅々の方言まで全く変えてしまえる
ほどには影響力はなかったというのもまた違う真実で興味深いです。
なにしろ広大すぎた王国でした。

こうやって色々想像していくと、この時代を実際にのぞきに行けたらどんなに
素敵だろうと思ったりします。
言葉から見た歴史もヨ-ロッパには興味深いものがありますよね。


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