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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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神聖ロ-マ帝国皇帝カ-ル5世にしてスペイン国王カルロス1世

美公フィリップと狂女ファナの婚姻は、ハブスブルグ家にとてつもない領土を支配させる結果になりました。

神聖ロ-マ帝国皇帝にして、スペイン国王でもあるカ-ル5世(スペインではカルロス1世)は、当時から各国の王族同士が婚姻を
結んでいたヨ-ロッパ王室の中でも、際立って高貴な血統でした。
母方の両親はスペインを統一させた偉大なるイザベル女王と、アラゴンのフェルディナンド、父方の両親はブルグント公女マリ-と
神聖ロ-マ帝国のマクシミリアン1世。
彼がスペイン国王に就任した頃は大航海時代の真っ最中、「太陽の沈まない国」(欧州から新大陸、アジアはフィリピンまで)という
世界帝国を築き上げました。

(若かりし頃のカ-ル5世)

ちなみに彼の敬称をすべて書くと、
カール、神の恩寵による、神聖ローマ皇帝、永遠の尊厳者、ドイツ王、イタリア王、全スペインの王及びカスティーリャ王、アラゴン王、レオン王、ナバラ王、グレナダ王、トレド王、バレンシア王、ガリシア王、マヨルカ王、セビーリャ王、コルドバ王、ムルシア王、
ハエン王、アルガルヴェ王、アルヘシラス王、ジブラルタル王、カナリア諸島の王、両シチリア及びサルデーニャ王、コルシカ王、エルサレム王、東インド、西インドの王、大洋と島々の君主、オーストリア大公、ブルゴーニュ公、ブラバント公、ロレーヌ公、
シュタイアーマルク公、ケルンテン公、カルニオラ公、リンブルク公、ルクセンブルク公、ヘルダーラント公、アテネ公、ネオパトラス公、ヴュルテンベルク公、アルザス辺境伯、シュヴァーベン公、アストゥリアス公、カタルーニャ公、フランドル伯、ハプスブルク伯、
チロル伯、ゴリツィア伯、バルセロナ伯、アルトワ伯、ブルゴーニュ自由伯、エノー、ホラント伯、ゼーラント伯、フェレット伯、キーブルク伯、ナミュール伯、ルシヨン伯、サルダーニャ伯、ズトフェン伯、神聖ローマ帝国の辺境伯、ブルガウ辺境伯、
オリスターノ辺境伯、ゴチアーノ辺境伯、フリジア・ヴェンド・ポルデノーネ・バスク・モリン・サラン・トリポリ・メヘレンの領主。

だということで周囲のお付き(本人ですら)は覚えるだけでも大変だったことでしょう。

また親戚には、母方の叔母がヘンリ-8世の最初の妻キャサリン、(ブラッドメアリ-で有名なイギリス女王メアリ-の実母)、父方の叔母はネーデルラント総督マルグリット、弟はオ-ストリア系ハブスブルグの祖となる
カール5世の次の神聖ローマ皇帝フェルディナンド1世(オーストリア大公にして、イタリア王、ボヘミア王ハンガリ-王でもある)であり、またこの2人の4人の姉妹はそれぞれ、フランス王室、デンマ-ク王室、ボヘミア王室、ポルトガル王室の妃という、華麗なる王家一族でありました。
180px-Carlos_V_en_Mühlberg,_by_Titian,_from_Prado_in_Google_Earth
(馬上でのなんだか凛々しいカ-ル5世)
彼自身も曽祖父母の代まで遡ると、オーストリア、ポルトガル、フランス、イギリスの血筋が流れているため、祖父母が神聖ロ-マ帝国皇帝であり、ブルゴ-ニュ家で、その上スペインの王室の血筋であってもカ-ル5世はスペイン人、あるいはドイツ人、あるいはフランドル人、あるいはフランス人(ブルゴ-ニュはもとはフランスから独立した公国)であるとは言い切れないようです。カール5世自身は母国語はフランス語で、パリをこよなく愛し、フランス社交界でも「シャルル・カン」(Charles Quint)と、親しまれていました。
(現在のフランス語ならカール5世は「シャルル・サンキエ-ム」(Charles cinquième)なのに、なぜ「シャルル・カン」なのかといえば、Quint は中世フランス語では5世の意味だったそうで今でも彼の呼び名はフランス語で「シャルル・カン」のままですが、響きがとても素敵です)

彼が残したと言われている言葉に「余は神にはスペイン語で、ご婦人にはイタリア語で、男にはフランス語で、馬にはドイツ語で話しかける」というものがあるものの、得意だったフランス語とスペイン語(スペイン語は15歳くらいからスペインに移り住み覚えたよう)に比べ、ドイツ語とイタリア語(ついでにラテン語も)は不得意だったそうです。

そして彼は母方の従妹でポルトガルの王女イサベルと結婚するのですが、これまた非常に仲の良い皇帝夫妻であったそうです。
イサベルは知性と美貌で知られただけではなく、非常に優しい夫人でカ-ル5世に大変愛されますが、末子の出産の際、難産で命をおとしてしまいます。
ポルトガルの王女としての誇りを捨てさることができなかった彼女は、医師に自分の病状を診てもらうため体に触れられるのを断固拒否したとのことです。
その後カ-ル5世は再婚もせず、彼女のために死ぬまで喪服で過ごしたとのことで、なんだかとても素敵です。58歳の生涯を終えるまで、亡き妃を思い続けたということで、やはり亡き妃を思い続けた、祖父マクシミリアン1を彷彿させますが、この情の深さがハプスブルグ家の婚姻による成功の要因の一つだったのかもしれません。
お互いを思いやる優しさが兄弟間であらわれている逸話も残り、人柄の良さが偲ばれます。
160px-Tizian_057.jpg
(美しいイサベル妃)
想像できないほどの高貴な家柄のハプウスブルグ家ではありますが、大抵どこの王室と結ばれても、夫婦仲良く、その結びつきで難関を乗り越え「戦争は他家に任せておけ、幸いなオ-ストリアよ、汝は結婚せよ」の言葉通り
婚姻による領土拡大を可能にしたハプスブルグ家の大成功の秘密は実はこんなところにあるのかもしれません。
そこがフランス王家とイギリス王家との決定的な違いであり、また500年たってもロマンチックな宮廷物語としても、私達の心を打つのかもしれませんね。
陰謀と策略が幅をきかせ、そしてそのための結婚とはっきりわかってしまう、フランスやイギリス王家では、何世代にも渡るハプスブルグ家のような夫婦間でのロマンスはあまり聞かないように思えますが、どうなんでしょうか。

そんなわけでカ-ル5世は、彼から遡ること700年前にヨーロッパ統合を果たしたカ-ル大帝以来のヨ-ロッパ概念の体言者でもあったわけですが、次回はそのカ-ル大帝について少し説明させていただきたいと思います。

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