カウンター


ランンキングに参加中です。

ぽちっとクリック嬉しいです!

プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


小鳥たちが飛び回るブログパーツ(Twitter連携可)


最新記事


日本ブログ村ランキング


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


カテゴリ


月別ア-カイブ


最新コメント


検索


全記事表示リンク


アクセスランキング

[ジャンルランキング]
海外情報
654位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
ヨーロッパ
172位
アクセスランキングを見る>>

ブルゴ-ニュ(ブルグント)公国-マリ-姫とマクシミリアン

世界で一番美しい(?)と定評のあるフランス語より、あまり響きの美しくないフラマン語(オランダ語の方言)が、ベルギ-では良いイメ-ジだなんてとても信じられないでしょうけれど、ベルギ-のブリュッセルやブル-ジュあたりが、15世紀頃のヨ-ロッパでは強国ブルゴ-ニュ公国の中心だったかを知れば、それも納得できるかもしれません。

今でこそ大国ドイツ・フランス・イギリスに挟まれ、ルクセンブルグやオランダと共にベネルックスなどと愛称までつけられて、小国のイメ-ジそのままのベルギ-ですが、当時ブルゴ-ニュ家が支配していたブルゴ-ニュ公国は、シャルル突進公(1433年 - 1477年)の頃には、ブルゴ-ニュワインで有名なブルグンド(ブルゴ-ニュのドイツ語)地方だけではなく、当時欧州の経済的先進地域であったフランドル(現在のベルギ-やオランダ周辺)をまたぎ、フランス・ドイツの国境沿いまでの広大な土地を支配していました。
広大であるばかりでなく、豊かな土地、そして経済や文化の先進地域でもある領地を持ち、当時欧州ではとてつもなく非常に豊かな公国でもあったわけです。

ですからこの戦争好きなシャルル突進公(シャルル・テメレ-ル)の一人娘マリ-はフランス・イギリスの王室からも引く手あまた、欧州中の注目の的でした。
160px-Niklas_Reiser_001.jpg
(マリ-・ド・ブルゴ-ニュ)

そのマリ-の父・シャルル突進公がナンシ-の戦いで、44歳の若さで亡くなってしまい、大荒れになりそうな結婚争奪戦にて勝利を手に入れたのが、「中世最後の騎士」にして「近世最初の皇帝」と称されるハプスブルグ家のマクシミリアン1世でした。
200px-Bernhard_Strigel_007.jpg
(マクシミリアン1世)

息子と結婚させるもくろみだったフランス王シャルル11世はそれは憤慨したことでしょうが、でもブルグントの絶世の美女だった姫君マリ-と、これまた当時、陰気な父・神聖ロ-マ帝国皇帝フリードリヒ3世に似ず、武道に秀でて心身ともにたくましく、明るく伸びやかに育ち、そして純粋な青年だった神聖ローマ帝国皇帝ハプスブルグ家の嫡男マクシミリアンは、今見てもお似合いのカップルです。

当時神聖ロ-マ帝国皇帝とは言っても、貧乏皇帝一家だったこのハブスブルグ家はフランス王シャルル11世に幽閉されていたマリ-を助け出すための資金がなく、マクシミリアンはそれは大変な思いでゲントのマリ-のもとまでたどり着きます。
当時、資産がないからこそ、神聖ロ-マ帝国皇帝に選出されていたのが、ハプスブルグ家だったとは以外に知られていない史実ではないでしょうか。
資産のある一族を皇帝に選出して、ひとつの家の力が強くなってしまうことを、当時神聖ロ-マ帝国(今のドイツあたり)は恐れていました。
この貧乏皇帝一族は、マリ-・ド・ブルゴ-ニュとの結婚によって、一気に名実共にヨ-ロッパ1の名家になっていくわけなんですが、それはこの2人の孫カ-ル5世(スペインではカルロス1世)の時代まで待たなければなりません。

ですが旅行資金のみならず、それどころかいつでも貧乏だった父フリードリヒ3世にしてみれば、マリ-姫との結婚だけでもきっと目が回りそうなくらいな大成功と思ったことでしょうね。

そしてもともとは政略結婚から始まった2人ですが、ゲントでマリ-を救出した話はまるで中世の騎士物語以上にロマンチックですし、結婚してからはお互いの言語(マリ-はフランス語とフラマン語、マクシミリアンはドイツ語)を教えあったり、共に馬で狩に出かけたりと、それは仲睦ましい夫婦だったということで本当にお似合いの素敵なカップルですよね。

マリ-が4人目の子供(次男フランソワは夭折)妊娠中に落という事故さえなければ、きっともっとたくさんの子供にも恵まれ、ブルュッセルやブル-ジュは今よりもっと大きな都市になっていたかもしれませんが2人の子供に恵まれ、幸せの絶頂に、25歳という若さで夭逝(ようせい)してしまったのは本当に残念なことでした。

マリ-・ド・ブルゴ-ニュは今でも父シャルル突進公の横で、そしてマクシミリアンの心臓も、マリーの墓に共に埋葬されて、ブル-ジュの聖母教会で眠っています。
今でもブルグントの人々の「我等が姫君」マリ-・ド・ブルゴ-ニュのお話でした。
220px-Grafmarg.jpg

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://chipi616.blog.fc2.com/tb.php/251-011c1e96

 | ホーム |  page top