プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう16年生活しています。ドイツ人の夫と、3人息子、そして一人娘(?!)の猫マルゴと共に、ドイツの子供の生活、ドイツサッカ-をはじめ、テニスやブレイクダンス、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 

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フランス人の友人達

今日はフランスのアントワン君に電話しました。

2年前初めて我が家に交換留学生としてやってきて、明日で3回目となる予定だったフランスからの交換留学生たちは、このパリのテロの問題を受け、オランド大統領の「非常事態」戦争宣言とともに、フランスの子供達の交換留学や修学旅行、外国への遠足も全て中止になってしまいました。

アントワンが毎年12月に5日間我が家に来て、うちの次男が5月にアントワン宅へやはり5日間滞在して、お互いの学校へも行き、文化交流をはかるという素敵な取り組みにもかかわらず、次男の年はちょうど思春期ということもあり、もう受け入れをしたくないドイツ人、もう来たくないフランス人の子供達もいる中、うちの次男とアントワンはどういうわけか気が合い、3回目の続行ということで、明日の彼の訪問をうちの家族もみんなで楽しみにしていました。
次男とアントワンがどんな話をしたかと言えば、アントワンの一声は
「ドイツ代表対フランス代表のサッカ-の試合(あのパリテロの際の)、フランスが勝ったよな」で、きっとうちに来たらこのことを言おうと楽しみにしていたのがわかり、とてもほ微笑ましくなり笑ってしまいました。うちでも次男と彼はよくこんな会話で、じゃれあっていまいましたから。今回はさすがの次男もぐうの根も出なかったようで、それに対して何も言い返せないのが(特にフランス語が超ヘタッピなためもあり)笑えました。そしてあいかわらずとても元気そうなアントワンになんだか心から安心しました。

2日ほど前は、長年のフランス人の友人の家へ行き、その際小さい赤ちゃん時代から知っているでも大きくなったそこの息子さん達(うちの長男次男の幼馴染)に会い、ドイツ育ちのフランス人なのに会った際の挨拶は必ず、ほっぺに2回キスしてくれるのが心地よく、個人的にフランス人に会えば、フランス人のいやなことはすっかり忘れてしまう私です。

私のその友人はさすがにお料理が上手で、5日ほど前にはクラブの催しで、彼女がお菓子のマカロンを手作りしてきてくれて、あまりにおいしく(実際今まで食べた中で一番でしたが)その際はめちゃくちゃ感動した私なんで、フランスのこと歴史的には反感を感じながらも、普通のフランス人の友達にはそのままかわらない気持ちの自分がいます。
いっそ彼女達に「でもあなた達の国のしてきたことはどう思うの?」と聞きたい気持ちもあり、でも聞けば傷つけるのもわかっているので、あちらから何か言い出すまで待とうと思っている私です。国がしたことーそれも大昔のことであれば尚更、彼女達個人に責任があるとは言えないですよね。。。

フランス大攻撃の私ではありますが、フランス人の友人までも嫌いなわけではないということを、ご理解いただけると嬉しいです。

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フランス人の彼女のマカロン紹介。
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全て彼女の手作りで色とりどりのマカロンで最高においしかったです。


フランスがしてきたこと

10年以上前に日本のある記事にこんなことが書かれていました。

フランスでは植民地時代に支配していた国の子供を家事全般をさせるために勝手に連れてきて、周りには秘密で、一生台所に住まわせただ働きさせている一般家庭が後をたたず問題になっている。

というような内容でした。

もともと私はフランスが好きで仏文へ行ったくらいですから、その時も実はその記事を100%信じていませんでした。フランスほどの素晴らしい国がそんなことをするとは正直思っていなかったのです。ですから日本の記事だったこともあり「きっと何かの間違いだろう」くらいに思っていました。

しかし今回の一連のことで、インドネシア人の長年の友人と話して、「実は眉唾の話で本当かどうかわからないのだけれどね…」とこの話を始めると「それは本当のことですよ、そんなことは世界中どこにでもあります」と言われて正直衝撃を受けました。
世界の常識ではこんな酷いなことが、かのフランスやアメリカのような大国であるのはちっとも不思議なことではなかったようです。アラブの裕福な町で東南アジアの方たちがメイドとして契約して、奴隷のような扱いを受ける、というくらいのことはるのは知っていましたが、まさか子供が連れて来られてそんな非人道的な扱いを受け、それが世界中で大騒ぎにならないなんてそれが犯罪だと大騒ぎされないなんて、そんな世界がここ欧州にあるなんて全く思ってもいなかったんです。しかもそれが私の大好きな憧れのおフランスでのことだなんて、いったいどうしたら信じられたでしょうか。。。。

彼女は物理学者でもあり、専門は原子力だったということもあり、続けて話してくれましたが、フランスは旧植民地の近くでそれはたくさんの原子力実験も行っていたそうで、モロッコ人にはその影響と見られるガン患者が多いのだとも教えてくれました。
自分の国ではできないからって他の国でそんな恐ろしい実験をするのは「自由・平等・博愛」の精神にはひっかからないようです。
私の他のお友達も「だいたい自国の領土以外で原爆実験するってフランス以外にないと思うのですが、これはテロではないのですかね」と言っていましたが、私もこの言葉には非常に共感しました。私なんかはよく知らないので、ある意味テロより酷いのでは、とさえ思います。だって被害はもっと広範囲でしょうから。。。


またイスラム教でもある彼女はフランスのイスラム教徒の人達のおかれている状態にも日頃から関心があったようで、ドイツと違って移民の人達には全く不公平この上ないなんて国と、説明してました。

私のほかのハンガリ-人の友人も、ドイツ人の知り合いも、フランスが行った植民地政策による弾圧、そして移民に対する一生涯の差別はすごいものがあると言っていたので、フランスの非道ぶりは欧州でも実は有名だったのですね。
「テロは許すまじ」と兵役につきたい若者急上昇中のフランスではありますが、フランス国民の皆さんに一度自分達の国の歴史を見直して少しは冷静になってくれないかと思います。

ロシアにしろ、イギリスににしろフランスと共に戦う気満々の3カ国のようですが、周辺諸国まで巻き込んで大騒ぎする前に、今一度振り返り、同じ過ちを繰り返さない道を選んで欲しいでと心から願います。

テロは許されない行為ですが、その前に散々自分たちも本来であれば許されないことをしてきたという事実はまるでなかったことのように封印して、自分たちがされたことだけを攻撃するのは、フランス様には特にしてほしくないものですよね。
なんせ他国にはない「普遍的な価値がある」大国だということなんで、今こそその真の姿を見せてほしいものです。
うわべの美しさだけではなくて…。

大国には大国の振る舞いを期待してやみません。

イスラム社会から見た欧米 その3

そうは言ってもイラクのフセイン氏、シリアのアサド氏の他の人達への弾圧は決して許されるべきではない、という側面も確かにあることでしょう。

でも今回もまだあくまで「イスラム諸国から見た欧米」ということで話を進めさせてください。

欧米がこの100年くらいの間に中東でしたことをまとめると

・第一次世界大戦中イギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領を分割したサイクス・ピコ協定
・第二次大戦後、ユダヤ人のためにパレスチナ人の地にイスラエルを建国
・同時期、石油欲しさで始めたイラン・イラクとの戦争
・中東の国に強い政治家が出てくると自分達にとって不都合なため、対抗勢力をけしかけ(もちろん武器提供して後押し)悪の独裁者としてプロパガンダを盛大に行い抹殺(自分達に都合が悪ければ゛悪゛と片付ける欧米の論理で)
・実力者のなくなったその国を傀儡政権にして欧米がコントロ-ルできるよう手回し
・それに伴い勝手に国境をかわって紛争が起これば、これまた幸いと続けて武器を売りつける

もし仮に欧米の干渉がなくても中東はもめていたのではないかと、私は実はこんな違う考えも頭に片隅にありました。ですが「でも使う武器がなければここまで大変なことにはならない」と友人に言われ、本当にその通りであると思うにいたり、そこから考えると、そもそもそれ以前に実は欧米では紛争が起こって迷惑どころか、その軍需産業で巨額の利益を得ているわけで、実は今の欧米の豊かさはひとつは中東の国の紛争のおかげにあるとさえ言えるのではとも思いました。
紛争どころか恵まれた石油資源のある中東なので、本来であればもっともっと欧米諸国よりも豊かに人々が生活していた可能性もあることを思えば、それさえ横取りしてきた欧米社会の厚かましさや狡猾さが浮き彫りになります。

それでここまでは、中東内で欧米がしてきた(しかも勝手に)悪行の数々ですが、自国でもほとんど同じようなことをしていました。これがこの数年のテロを誘発させた大きな原因なんですが、

それが移民問題です。

戦後、植民地政策ができなくなれば次に考えたこともでもその時代と本当はあまりかわらないことでした。
旧植民地からの移民政策とは、植民地時代の国からまた人々を連れてきて安い労働力として生涯にわたり搾取しようと考えた欧米の厚かましい発想からきました。それなのに、まだ自分たちは何をしても許されると信じきっている欧米人達なんで、何十年もこの移民の人達に対して、決して自分達と同じ平等な機会を与えようとはせず、差別し続け、虐げてきたわけです。
その結果いつか移民の人達に憎悪の感情が生まれてしまったことに、どんな不思議があるでしょう。それ以前に植民地として200年近くも搾取し続けていて、それでもまだ足りない強欲な罪深い人達は一体誰でしょう。それなのに独裁者よりも自分達の方が良い人間だと、どうしたら言えるのでしょうか。理解するのが難しいです。

だから

フランスのかかげる「普遍的価値観」って一体なんでしょうか?

自分達の絶対の変わらない優位性のことですか?

と、結局はそういうことなのか、と思ってしまいます。

「自由・平等・博愛」に適用するのは自分達欧米人だけと考えているのなら、いつかそれが全く違う価値観にとってかわられたとしたって不思議ではないし、そんな欧米の優位性を守るために戦争になる前に今一度世界中が冷静になってほしいです。
「報復」から生まれるのは「報復」でしかないのは、人類の歴史でそれこそ普遍的な真実です。テロ行為は許されるものではありませんが、生まれてからいつも内戦状態で、まともに教育もうけていない、そして親もない子供たちがそんな戦士に育つことがそんなに不思議なことですか? これ以上テロ要員を作らないためにも「血で血を洗うこと」が正しいことなのか考えてほしいです。例えそれが本当に大変な道でも、お互いに共存していく道しか世界の将来はもう残っていないのかもしれません。。。

今日は急いでまとめたため途中読みにくい箇所もあったかと思いますが、お許しください。
最後まで読んで下さったことに感謝いたします。

そして数回にわたりイスラム諸国からの見方を書いてからと言って、私自身がテロ行為を肯定しているわけでは、全くないということも最後に付け加えさせてくださいね。



イスラム社会から見た欧米 その2

アルカイ-ダとイラク、そして周辺諸国を整理すると、

1990年代以降、主としてアメリカ合衆国を標的とした数々のテロ行為を実行し、2001年アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるウサーマ・ビン・ラーディン(スンナ派ムスリム教徒)ですが、彼はサウジアラビア出身のイスラム過激派テロ組織アルカーイダの司令官でした。

ウサーマ・ビン・ラーディン氏ですが

1979年 アフガニスタンのソビエト軍と戦うためにムジャーヒディーンに
      ムジャーヒディーンとはイスラム世界に対する侵略に対抗する
      民衆の抵抗運動のことで、1979年にソ連軍が軍事介入すると
      イスラム世界の各地から志願兵が集結

1988年 ペシャーワル(パキスタン)でアルカーイダを組織
1996年 アフガニスタンに移動しイスラム原理主義勢力・タリバーンの
     庇護へ
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件
2001年9月12日 ジョージ・W・ブッシュ(子)大統領による
      テロとの戦い宣言
2001年10月7日 米英をはじめ有志連合諸国によるアフガニスタン侵攻
アルカーイダを匿うターリバーン政権に対してNATOが自衛権を発動
2001年11月  タリバ-ン ビンラディンにアフガニスタンの市民権を
       与える
     年末  ターリバーン政権崩壊
2004年10月9日 アフガニスタン・イスラム共和国 成立
2011年5月2日 パキスタンにおいてアメリカ軍によりウサーマ・ビン・
        ラーディンの殺害が確認される

1991年に湾岸戦争が勃発した最、当時サウジアラビアに帰国していたビン・ラーディンはイラク軍からサウジアラビアを防衛する計画をたていたにも関わらず、サウジアラビアがアメリカ軍をイスラム教徒の2大聖地であるメッカとマディーナに常駐させたことで反米感情が高くなったといわれています。

父のムハンマド・ビン・ラーディンは元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員で、また、ウサーマの長兄のサーレムは前アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュがかつて経営していた石油会社の共同経営者(サーレムは1988年に自らの飛行機の操縦ミスでテキサス州サンアントニオで死亡)だったというのは驚きですが、しかしながら、1994年頃ラーディン家は、ウサーマを一族から追放し手ばなしていたそうで、2001年の頃には彼の一族とのつながりは全くなかったそうです。


さて一方その頃のイラクはどうなっていたかといえば、

2003年4月- 2004年6月  アメリカ・イギリスを中心とする連合国
            暫定当局 (CPA) によって統治
2003年12月13日 サダム・フセインがダウルで拘束され
2004年6月2日 イラク暫定政権発足
2005年4月7日 ジャラル・タラバニが初のクルド人大統領に就任
2006年4月22日 イスラム教シーア派勢力のヌーリー・アル=
        マーリキー首相に選出
2006年12月30日、 マリキ氏、フセイン元大統領に死刑執行

さてここで登場のクルド人ですが、イラクの反体制活動を繰り返してきた、イラク内少数民族だったクルド人に積極的にクルド人に武器・経済支援を行ったのはもちろん、アメリカ・イスラエルで、イラク国内テロを後押し、その上資本の支援をも行ない、イラク内のクルド自治区は第2にのドバイとよばれるほどに発展していきます。

もともとイラクでは国内のシーア派住民とクルド人がフセイン政権への反乱を起こしていたのですが、ここにきて、なぜか少数派のクルド人武装勢力の長として武装闘争に関与してきた、タラバニ氏がイラクの大統領に就任し、シーア派のマリキ氏(フセインはスンニ派アラブ人)が首相となった不自然さの残るイラク政府でした。しかしながらもともとのフセイン体制においても、イランとの戦争をけしかけたのは欧米なんで、今更何をいわんや…ということですね。

そしてついに欧米が少数派であるクルド人勢力を不自然なほど支援し続けてきた影響が噴出、イラク人スンニ派がアルカイダ系勢力と結合し、シーア派・スンナ派・クルドの三つ巴の紛争に発展!!

そして次に出てきたのがリビアとシリア問題なんです。

当時まだ強固な独立政策が維持されていたリビアは、NATOに空爆され、体制転覆。

そしてもうひとつ欧米に不都合だったのがシリアのアサド政権で、欧米は反アサド派のクルド人勢力、自由シリア軍、アルカイダ勢力に武器・資金を供給しシリアの政権転覆をはかります。
この欧米のメディアでは「内戦」と呼ばれていたシリアの騒乱は、アサド大統領にとっては「外国の侵略」以外のなにものでもありませんでした。

その上、ここでも驚愕の事実があって、この当時のアサド政権下に苦しめられている人々の映像はシリア反政府勢力側にとって捏造されたものばかりだったとは、私のように平和ボケで育った日本人にとうてい考えすら及びませんが、狡猾なことが得意のさすがの欧米人だってなかなか気づくのは難しいかもしれません。もちろん欧米の上層部は知っていたでしょうけれどね。
(知っていたどころかそうするように仕向けていたと聞いたところで、今更びっくりもしないですが…)

イスラエルによるガザ虐殺の利用を用いてアサド政権による迫害としていたり、1982年のイスラエル軍の指揮によるイエメンの難民キャンプにおける迫害行為の被害者の映像がシリア反政府勢力のキャンペーンで再利用されていたりしたそうで、大昔に亡くなれた方たちを冒涜する行為は人道的に許されていいのかと誰もが思うことでしょうが、事実そのようなことが行われていたようです。

でも話を元に戻すしますと、こうやって中東では次々と欧米に侵略され、めちゃくちゃにされ、傀儡政権だらけの国になっていく中、イスラムに基づく国家建設による体制からの独立を目指す運動の中から「サイクス・ピコ体制」に対する不満が急浮上。

サイクス・ピコ協定とは、第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定ですが、ここでももちろん出てきて勝手に人の土地を分割していた世界三大我が物顔大国でした。
イスラム国はもともと、シリアの反体制勢力でしたが、欧米の投下した資本・武器を吸収し、2014年、イスラム世界の統一を目指すイスラム国が急速に勢力を拡大しついに新国家樹立を宣言するほどになります。

歴史の表舞台に、ついにISISの登場です。
こうやってイスラム社会側から歴史をたどっていくと、悲しいことに出るべくして出てきたしまったイスラム国の存在が見えてきます。


イスラム社会から見た欧米 その1

今日はイスラム諸国がなぜ反米感情があるのか考えたいと思います。
そもそも一連のテロ事件の要因はどこからきているのか、イスラム諸国の視点からこの問題を見ていきたいと思います。

ことのはじまりはイラク戦争でしたが、もとはといえばこのイラク戦争はイランの石油権益に対する、米英とイランの対立が発端でした。第二次世界大戦後、アングロ・イラニアン石油会社(現在の国際石油資本スーパーメジャーと呼ばれる6社の内の一社BPの一部)が設立され、イランがイギリスと結んだ協定で、イギリスはなんと85%(イランはたったの15%)の割合でイランの石油利権を分割することになっていたのだそうです。

他国を植民地化できない社会情勢になっても、イギリス人たちの可能なところから出来る限り略取するという長年の基本姿勢は全くかわっていなかったようです。しかしいくらなんでも不公平だろうと声をあげはじめたイラン市民達の運動により、イラン政府が石油はイラン市民のものと国有化を決めたのが1951年。
これにより石油権益という多大な恩恵を失った欧米が考えたことは、国際石油資本によるイラン石油の国際市場の締め出し、とどめがアメリカ政府、イギリス政府が画策した1953年の国王派ク-デタ-でした。
このク-デタ-の真の目的は石油利権を米英が獲得するためであり、イランは真の自由主義の国になったわけではなく、ただの欧米傀儡体制でした。

これが後に「イスラム原理主義勢力」が出現する大きな理由となります。欧米から不利な条約を無理矢理押し付けられ、搾取され続け、経済破壊になり、その上文化まで取り上げられれたら、激しい憎悪が生まれるということは誰にだって想像がつくでしょう。
そこらへんの想像力が極端に足りないのが欧米社会の特徴ですよね。いつだって他国へ侵略して財宝も富みも根こそぎ略奪して、現地人を奴隷として支配し続けた大国の長年の常套手段なので、それが許されるという勘違いからどうしても抜け出せないようです。

そしてこんな欧米に対して民衆がついに1979年、イラン・イスラム革命を起こします。でももちろんこんなことで不公平条約の撤廃に応じる欧米諸国でないことは日本人はじめ中国人、インド人だって世界中の誰もが知っているわけなんですが、その次はこれまたお得意の大好きな「経済制裁」です。
それでもまだしぶとく頑張るイランに対して、米英は次に隣国イラクを利用することを思いつきます。欧米でイラクに武器支援をして準備をすすめ、両国の領土問題を煽り、サダム・フセインに対する最大の協力を惜しまずイラクの軍備を強化させます。

イラン・イラクどちらが勝っても負けても(一番いいのは両国の崩壊ですが)欧米には望ましい結果となるはずのこの戦争は8年にわたり140万人の犠牲者を出す戦争となりました。なのにアメリカはなんとこの戦争で武器売買による増大な利益をも獲得するという厚顔ぶりを発揮します。

そんな中、イラクを支援していたはずのアメリカは裏ではイランとも武器取引を行っていたことが発覚!!

1988年に両国の疲弊により、この戦争は終結、そしてそのわずか2年後にイラクと欧米の湾岸戦争が勃発し、極悪人サダム・フセインという構図が描かれます。

この戦争はではなぜ起こったのでしょうか。
イラン・イラク戦争でアメリカの裏切りにあったイラクに残されたのは600億円もの債務、農業も工業も破壊され、膨大な武器だけが手元に残されました。その上、他国による石油の不正搾取でした。

当時のフセイン政権の主張は

 ・イラクにおけるサウジアラビアとクウェート、アラブ首長国連邦などの不正掘削の中止  と

 ・イスラエルによるパレスチナ武力占領を止めよ

ということだったそうで、欧米が長年してきたことと比べれば全くもって正当なものだったわけですが、主張はもちろん聞き入れられず、欧米はメディアにより情報をコントロ-ル。

「欧米がイスラエルの占領をやめさせるなら、イラクも取り戻されるべき利益を放棄してクウェートの領有権を主張しないという」という譲歩すらしたフセイン大統領が本当に極悪人なのか本当に疑問です。彼は少なくても自分達の利害よりも和平に向け話し合いをしようと考えていたんですよね。

それなのに
「パレスチナ人の抵抗はテロ行為であり鎮圧することは正当であるとともに、テロ行為を支持するイラク政府の主張は悪意であるとの論調が強められた。」
というイスラエルのイラクに対する一方的な非難を、アメリカはじめ欧米諸国は黙認したわけです。

1990年8月イラクのクウェ-ト侵攻により、捏造されたプロパガンダによる偽の情報も飛び交い、ついにフセインは悪の象徴となりました。そこへ正義の味方と化したアメリカ登場、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)下で1991年1月に多国籍軍によるイラク空爆がはじまり、3月にはイラク敗戦により戦争は終結されますが、ここでもイラクに残されたのは賠償金の支払い、そして経済制裁でした。

メディアによる半イラクキャンペ-ンが展開されている中、この混乱の中から表舞台に登場してきたのが、クルド人問題、そしてアフガニスタンのタリバ-ン政権、ビン・ラディンとアルカイダです。

フセイン氏とビン・ラディン氏は関係ないばかりか敵対していたそうなんですが、イラク関係の戦争で周辺諸国情勢もますます悪化、そしてその原因をよくよく考えれば欧米諸国の自分達の利害のために利用されていた中東という図が浮き彫りになってきませんか?

フセインを失った混乱のイラクに入り込んで登場する、イスラム国樹立はこんな歴史の隙間から誕生することになりますが、今回は長くなったので、それは次回にさせていただきますね。



パリ テロ事件 その2

今週は主人がフランスのニュ-スをよく見ているのですが、「カミカズ」と気になる単語が。何かと確認するとフランス語で発音した「神風」のことで、「自爆テロリスト」をさす言葉だとか。そういえば1月にテロの標的になった「シャルリー・エブド」の創刊当時(1960年)の名称は「アラキリ」でこれも日本の「腹切り」から来ていたそうですが、創刊当初は「ばかばかしくて、意地悪な」内容だったそうで「腸がよじれるようなブラック・ユ-モア」を目指していたために命名したのかも知りませんが、『自称親日国』という割にはなんだかきちんと理解してくれていないんじゃないかと疑わずにいられない、フランス人の感性です。8人が身柄を拘束されたとのことでしたが、その際の銃撃戦での犠牲の中に警察の爆発物探知犬ディ-ゼルも含まれていたと発表され、昨日はインタ-ネット上に #JeSuisChien(僕は犬)  のハッシュタグがあがり、なんだかものすごい話題になったようです。イスラム教徒が忌み嫌うお犬様が、テロリストの死より傷ましい、というフランスからISへのメッセ-ジなのかと思うと、単純に「かわいそうなディ-ゼル(その犬の名前)」とも思えなくなってきます。彼の死を悼んでなのか、ISへの挑発行為なのか判断しかねるからです。

ドイツ人のそれに対するコメントは、割合冷静なこんな感じでした。

「ちょっとフランス人、犬のことだろ、正気かい?」
「『僕はシャルリ-』『僕はパリ』、で今は 『僕は犬』 ね」
「このハッシュタグ本気なの? 私には正直グロテスクにしか思えない」
『同日ナイジェリアでは30人が爆撃で亡くなったんですけれど…」
(ナイジェリア・ラゴス(CNN) ナイジェリア北部のヨラとカノで17日から18日にかけて爆発が相次ぎ、少なくとも46人が死亡、120人が負傷した。警察によると、カノの事件では11歳と18歳の少女が自爆した事件のこと)


でも私がびっくりしたのはなんといってもアメリカ大統領候補者名を争そっているドナルド・トランプ氏の14日の「フランスももし民間人が武器を所持していれば、事態は違っていただろう」発言でしたが、そんな偏狭な候補者の支持が下がっているだろうと思いきや、なんたることか支持率は全く落ちていないというではありませんか。アメリカ人こそ大丈夫ですか?
違うニュ-スで、アメリカ市民の62%の貯蓄が平均1000ドル(約12万円)と読み、こんな発言を許容できる国民性はこの国の貧しさからきているのかもしれないと思ってしまいました。

パリのテロ後の追悼式で「イマジン」が流れ、皆が合唱して歩いて感動に包まれたそうですが、ジョン・レノンがまだ生きていたら今の世界の状況をさぞや嘆くことでしょうね。
「イマジン」を体現しようという気持ちなんて、アメリカには全くないのはもちろんのこと、世界のどこにも今はまだなさそうです。


* なぜアメリカにないと思うかの理由の一つは「グアンタナモ、僕達が見た真実」です。一度是非検索してみてください。アメリカが恐ろしい国だとわかります。


パリ テロ事件 その1

先週13日の金曜日に起こったパリでのテロ事件を受けて、昨夜はドイツハノ-バ-で開催予定だったドイツ対オランダのサッカ-親善試合も急遽中止になりました。ハノ-バ-駅で不審な手荷物が置いてあるのが発見されたとのことで、「我々はテロに屈しない」と頑張っていたドイツとオランダでしたが、今回はそういうわけにもいかなかったようです。ベルギ-、スペイン戦も中止の中、フランス対イギリスの国際親善試合は昨夜予定通りロンドンで開催され、ウイリアム皇太子の献花から始まり、両チ-ム共にスタジウム全員が規律してフランス国家「ラ・マルセイエ-ズ」を歌ったそうで、非常に感動的だったそうです。

今朝偶然、知り合いのフランス人のおば様が電話して下さり、パリ事件に対してお悔やみを言うと、こんな話を始められました。彼女曰く「正直今回のことは起こるべきして起こった」とのことで、「植民地支配からはじまり、その後もずっと植民地の人達を虐げてきた報い。自分達のせいでもっと貧しくなったかわいそうな人達には目をつぶり、どれほど移民の人達を差別してきたか、フランスの高慢さ、自分勝手さの結果だと思う」とご自分がフランス人であるにもかかわらず、非常にオ-プンに、そして祖国に対して怒りを持って話していらっしゃいました。ここドイツで大学を卒業されたのち、フランスに帰らずドイツにとどまったのは、そういうフランスという大国の心のなさを嘆かわしく感じ、「私の祖国、でも私の住みたい国ではない」とここドイツを選ばれたそうです。

彼女と話して実はこの金曜日からなんとなく感じていた私自身の中にある違和感がはっきりしました。
「ラ・マルセイエ-ズ」は歌詞はともかく一応国歌ということで、大昔はいつも敵対していたイギリス人と共にそれを合唱するのも確かに感動的です。このテロ以来毎日一日中ニュ-スで流れている言葉「Solidarität」(団結・結束)もいいです。でもそれは欧州の豊かなドイツ・フランス・イギリスなどの西欧州の世界のことで、その言葉が強調されればされるほど、なんだか空虚な空寒い気分になっていました。

私がこのブログで紹介したいくつかのフランス映画も実をいうと根底には寝強い差別意識が垣間見えます。ルイ・ド・フィネスの大昔の映画ならともかく、「Monsieur Claude und seine Töchter (Originaltitel: Qu’est-ce qu’on a fait au Bon Dieu?)クロ-ド氏と彼の娘達」の映画も2014年に作られたばかりだというのに、まだ実は人種に対して強い偏見があるのがこの映画からも気づかされてしまいます。ドイツではこんな映画を作ることはナチスの問題以来の教育上まず不可能で、またコメディ-として成り立つほど、この手の話がおおらかに表面化されることは少ないことを考え合わせると、彼女の言うとおり、フランスではなくドイツを永住の地と選んだ彼女の潔癖さは理解できます。私は所詮外国人なんで、フランスのそんな映画を見ても単純に楽しむことができますが、自分がフランス人で、また親族が外国人と結婚する際に彼女のおじいさんが大反対したことなどを目の当たりに見て、不快に感じていたなら、こんな映画すら「フランス人はやはり嘆かわしい」と、自分の祖国だからこそ思う気持ちもわからないではありません。

だいたい「ラ・マルセイエ-ズ」の歌詞がどのくらい酷いかご存知の方は多いと思いますが、あのフランス革命以来の残酷な歌詞の国歌をこんなときにもまだ歌い続けているあたりからも、自分達の優位性を疑いなく信じていることを感じさせらてしまいます。テロリストなら皆殺しにしてもいいということなんでしょうか。もちろんこんな災害を引き起こすテロリストは確かにそうかもしれませんが、その近隣の住人達をも巻き込んで、全部ひっくるめて始末してしまえばあとは自分たちは安泰、というアメリカみたいな考え方を先進国の中でも「自由・平等・博愛」の精神の象徴である(そのフランス人のそのおば様は「フランスのどこが『自由・平等・博愛』の国なんだか。事実は程遠い」と言っておられましたが。)と、自他共に信じられているフランスがしてもいいんでしょうか。疑問です。しかもフランスは大昔からカトリック王国でもあるわけで、神の訓えは一体どこに、とも感じてしまいます。異教徒がそもそも敵だというのなら、まさに中世の十字軍時代からこれっぽっちもかわっていない見解の狭さなら、正直この先も世界とうまく共存していけるのか心配です。

テロは確かに許されざる行ないには違いないですが、なんのためらいもなく自爆した若者達の事情を、この際もう一度踏み込んで考察しなければ、一方的な見解では世界を巻き込んだ戦争になってもおかしくないかもしれません。
フランスやイギリス(その上アメリカ、ロシアも)の昔からかわっていない一方的な優位性を守るために、ドイツやましてや日本まで巻き込まれるのは正直どうかと思います。今回自爆テロの巻き添えをくって亡くなった方たちにはもちろん心からお悔やみを申し上げます。そして今回の件で、ドイツに入国できなくなったたくさんの難民の人達も本当に気の毒としかいいようがないです。

昨日はうちから20kmくらい離れた近くの町で7人の外国人(モロッコ系ベルギ-人)がこのテロに関与した疑いで逮捕されたそうですが、どうやら誤認逮捕だったそうで、こんなことが欧州中でこれからもっともっと増えそうです。
ドイツもフランスにこれ以上色々惑わされることなしに、自分の道を見失わず進んでいってほしいです。


アメリー・ノトンブ 『畏れ慄いて』

その時のお茶会でこの本のテ-マについて翌週にインタ-ナショナルクラブの「ドイツ文学クラブ」で討論をするということを聞き、日本人の私にも是非きてほしいとお声がかかったので、今回改めて本腰を入れてこの本について調べることにしました。
随分前にフランス語の授業で読む機会があり、この本は知っていたんですが、忘れていたんです。

本を手に入れるのは間に合いそうになかったので、ユ-チュ-ブで探し映画版全編を見たときに正直衝撃を受けました。これは西洋人には考えられないひどい話と思われるだろういうことは簡単に予想がつき、「変な国 日本」と誤解されるのは間違いなし、と思った私は、日本人のお友達にも助言を求め、まず日本人ならこの映画をそう思うかという感想も聞くことにしました。

フランス人、ハンガリ-人にもポ-ランド人にも「これは本当の話なの?(ねえ、嘘でしょう? というニュアンス込みの)」と聞かれましたが、私が私の知っている日本から推測するのに、これは多分ほとんど本当に起こった話ですよね。もし真実と違う点があるとしたら、それはこのアメリ-さんが自分で思うほどには日本語が堪能ではなかったという点ではないかと思われます。

実はうちの主人は本当に日本語が堪能だけではなく、漢字の読み書きもかなり上手なんですが、そんな主人がフランクな日本語で話そうと努めると、私は意味もなく不愉快になります。どんなに上手な外国人でも、あまりにこなれた日本人風の日本語を話されると違和感を感じるのはなぜなのかと思うのですが、私達日本人の中にはなんだかそういう不思議な気分がないですか?
5歳までしか日本で育ったことのない彼女が会社敬語を使いこなせたとは考えにくく、変な日本語をお客さんに使うくらいなら英語で話してくれ、と言われたのは非常に理解できます。

私の友人はじめ、中国人でさえも「これは非常によくわかる、こんな状態では会社では働けないだろう」と、言っていたので、私もそうですが、これは日本人の共通認識に違いないと思われます。

人権第一のヨーロッパでは、こんな大企業でなくても、会社ではこんな大部屋でこんなたくさんの人と息苦しく働かされるということがないようで、その時点でもまず「非人間的」と思うに違いない欧州人にどのように説明したら、この日本の社会システムを理解してもらえるだろうと考えました。「軍隊蟻のような社会」と思わてしまうのもやはり間違いないからです。

なので、その通り説明しました。その点は確かにその通りですが、だからこそ進化し続ける日本があるのだと。。。
50年(少しオ-バ-ですが)くらい生活があまりかわっていない外国に比べたら、日本の進化ぶりはすごいです。それなのにまだその進化ぶりをとめようともせず、日夜しのぎを削っているのが日本の社会なんです。そしてこの日本の縦社会は当然のことで、私も中学校で1年上の先輩には自分から話しかけるものではなく、話して頂くのを待つものだと教育されたと説明しました。
テニスクラブでは半年間の玉拾いは当然で、どの体育系クラブでもそういう感じなのは普通でしょう。10年でやっと「道」になる日本人はまず忍耐、我慢することを教育されるわけですが、我慢強さがなければ、そもそも漢字の習得もできないでしょうから仕方ないです。また資源にも乏しい日本は食糧も輸入に頼らなければならず、そのためには財源が必要なわけですから、国民が飢えないように財源を確保するために、全員が一丸となって協力しあうためには、「出る杭は打たれる」(=いらない)のは非常に理にかなったことだとは思いませんか。農耕民族だった私達には共同体での生活が不可欠で、和を重んじる心がなければ、共同体の存続も難しいことでしょう。

幸い日本びいきな方が多い中での会だったので、そのドイツ人の方の助言もあり、皆さん最後には納得されていました。
そもそもドイツでもそういう美徳があったのに、アメリカ文化のせいでたくさんのいいものが失われたとドイツ人の方たちが色々なことを「アメリカのせい」にしていたのはなんだか微笑ましかったです。

でも私はこのアメリ-さん(フランス語では ノトンさん ですが、彼女はベルギ-人で、ノトンブ と言っているそうです)には、とても好感が持てます。この映画も非常にコミカルに描かれていて彼女の日本への愛情はかわっていないことが感じられます。
困難があってもそれを前向きに捉えて生きていくたくましい芯の強い女性と思います。実物もとってもチャ-ミングですよね。
amelie-nothomb-sera-mercredi-rennes.jpg
(トレ-ドマ-クの黒い帽子と。優しい目です。)
彼女は在日ベルギ-大使のお嬢さんで神戸に住んでいたそうです。5歳までお世話をしてくれた日本女性の乳母だった西尾さんとの再会のドキュメンタリ-を見ました。5歳で日本を離れた際に、西尾さんをお母さんと思っていた彼女は「西尾さんはどこ? 彼女はどこなの?」と周囲に聞いたそうでそれを西尾さんに説明していたんですが、西尾さんはそれを聞いて泣いていました。感動的でした。私まで思わず涙してしまいました。

だから多くの日本人の方がこれを見てアメリ-さんを嫌いになったりしないでほしいと思います。
彼女が大変な親日家であることは全然かわっていないはずなので。。。


「畏れ慄いて」
フランス語原題  Stupeur et tremblements
ドイツ語では    Mit Staunen und Zittern


ドイツ人の好きなお茶会にて - 難民問題 再び

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私の大好きなドイツ人のおば様のお茶会へ呼ばれてきました。
これはナッツたくさんとリンゴの手作りケ-キ。
151106 020
こちらはドイツのトルテケ-キで、色々な種類が
ケ-キ屋さんで買えます。
151106 024
私は大好きな胡桃がのっかっているマジパンケ-キを
いただきました。
ボリュ-ム満点ですが、すっごくおいしいんです。。。
151106 025
ドイツ人の方たちはお茶会の際こんな風に
テ-ブルにデコレ-ションされます。
秋らしく素敵でした。

ドイツ人だけではなく、フランス人、オーストリア人、スコットランド人、
ポ-ランド人の方達もいらしていましたが、私は今回もドイツ人の
一人のおば様の隣に陣取り、ドイツの難民問題について尋ねました。
最近会うドイツ人にはとにかくこのテ-マで、色々な方の本当の
考え方を知るように努めているんです。
私も偏った考えにならないように。。。。。

でもそのおば様も予想に違わず、「100人のドイツ人で1人の難民を
支えるくらいのことは私達には可能」という意見でした。
「もうすぐ冬が来るのだから一刻も早く収容施設を作ってあげて
ほしい」ともおっしゃっていました。

相変わらず私の周りのドイツ人は今まだこんな意見の方が
多く、なので、どうしても「難民受け入れ擁護派」の意見が
強くなってしまう私を許してほしいと思います。。。

またうちの長男・次男のギムナジウムでは最上級生の
何人かの子供たちがボランティアでこんな本を出版しました。
151106 028
「異邦人から親しい人に(なる)」というようなタイトルで
10人ほどの移民の方達に直接話を聞いてそれをドイツ語で
訳してまとめたもので、出版にかかった費用以外は全ての
収益は難民の人達へ寄付されるそうです。
素晴らしい運動で、長男は直接この活動にかかわって
いなかったものの、販売では応援していて(1冊5ユ-ロ)
「うちの学校はこんなことがあって、さすが(にカトリック系
ギムナジウム)だ」といたく感銘し、誇りに感じているようです。

昨日の「難民問題」検討のTV番組ではある団体が
難民キャンプの学齢期の子供に、ランドセルと通学に
必要な文房具一切を取り揃え、お母さんと離れてお父さんとだけ
逃げて来たその子供にプレゼントしていました。

政治の世界では賛否両論のこの「難民問題」ですが
受け入れようと頑張っている草の根で頑張っている、
ドイツ人もまだまだたくさんいて
ドイツという国の底力を感じている今日この頃です。

こんなおいしいケ-キをまだまだ食べることの出来る
私達なんで、可哀想な人達に少しくらい少しでも普通に
近い生活を分けてあげることも可能なのだと考えているのでしょう。

とにかく「人間らしい生活を少しでもさせてあげたい」と
全くの外国人に感じることができる、ドイツ人は
すごい人達だと思います。



ドイツ難民問題 その5

現在 8100万人のドイツの人口に対して150万人の
難民を受け入れることが可能か不可能かということの話題は
連日TVでもトップニュ-スです。
アルバニアやコソボ 等のバルカン半島からの亡命申請者が
シリア難民よりも多いらしいというニュ-スも聞けば
尚更不安に思うドイツ人も少なくないことでしょう。

人口4000人のあるドイツの町では、難民が3500人(通常は700人
だったのが)になり、住民たちは息をつめたような生活を
余儀なくされているというようなニュースも流れていました。

すでに400人の難民を受け入れている、人口32.000人の
我が町では、まだ圧倒的に町の住民の数のほうが多いので、
町を歩いても特にこれといって変わった感じはうけません。
近いうちに難民1000人を収容できる住居も早々に用意される
予定だということを今日のニュ-スで読みましたが
30人に一人が難民という割合であればまだなんとか大丈夫
なのでは? と願っています。
自分個人では何もできない本当に未熟な私なので
自分の家に引き受けることができるかどうかの選択ではなく
国なり町なりが事業として税金の中で人助けをしてくれるのであれば、
正直気持ち的にはこんなに助かることはないです。

ちなみに 地中海ル-トで逃れてきた
イタリアとギリシャから移送される6万6,000人の
国別受け入れ数の割り当ても決まったそうで
昨日のニュ-スではルクセンブルグへ30人の難民が
無事飛行機でギルシャから旅立ったとニュ-スで流れていました。
その内訳ですが、ここでも最多受け入れはドイツで

1番 ドイツで 17,036人
2番 フランス 12,962人
3番 スペイン 8,113人
4番 ポ-ランド 5,082人
5番 オランダ 3,900人 
その後 …ルーマニア、ベルギー、
スウェーデンと続き、小さいルクセンブルグは
EU23か国中でも受け入れよりキプロスは少し多い
だけの 237人です。 


そんな中、昨日は

「誰がなんの理由もなく自分の故郷を離れたいと
思うだろう」

という、ある政治家の方の言葉がとても印象的でした。


小さなゴムボ-トでトルコ経由でイタリアとギリシャに向かって
約5kmの危険な航海を決行して、子供と共に逃げてくる
難民の人達を見ていると、やはりドイツのしようとしていることは
間違いではない、と信じたい気持ちになります。

そんな中、ボランティアだけではなくドイツの軍隊が早急に
難民キャンプの手伝いに来くことが今一番の解決策のようです。
現在戦争もないドイツなので兵士達はこんなときこそのためにも
心身共に鍛え抜かれた軍人さん達の統率力と力が必要です。
ところでボランティアの中には、最新の材料を使用して
難民の住居を3日で作ってしまう建築学科の学生さんたちも
いるそうで、たくさんの人が手伝いにいっているのはすごいことですね。
心から尊敬します。

それにしても、と思うのは、特別規約でEUの全ての決定に
参加しなくてもいいイギリスは、イタリア、ギリシャからの
難民は一人も受け入れる必要がないのはもちろんですが、
10月21日にキブロス島の着いたクロティリの英軍基地に
着いた難民達への責任すら自分達には無関係と決め込んで
いるそうです。アクロティリ基地はイギリスの主権が及ぶ場で、
本来はイギリスが責任を引き受け、キプロスで生活する上での
コストが発生する場合にはイギリス側が負担するという
キプロスとイギリスの間で2003年に結ばれた覚書があるにも
関わらず、無視を決め込んでいるイギリスが今後どうするか注目
されているそうなんですが、IS問題といい、アメリカ始め、
イギリスのしていることも罪が深いと思います。
ちなみに、ここアクロティリ英軍基地は昨年IS空爆を行った際の
出撃拠点だったそうですが…。



ドイツ難民問題 その4

前回も書きましたが、本当に恥ずかしいことですが、
私はそもそも人種差別的なことの強い人間でした。
今でもそうかもしれません。。。。

最初の頃、ここの村ではドイツ人が多いということもあり、
トルコ人はあまりいなかったので、正直なんの理由もないのに
知り合いにいないというだけで毛嫌いしていて、トルコ人の多い
近隣の町へ出かけるのもあまり好きではありませんでした。
なぜならそこは町の半分がトルコ人街のようにトルコ人ばかり
ということもあり(でもしばらくドイツに住むうちにどの町でも大きい
街になると外国人が多いということに気づきはじめ慣れてくるんですが)
日本から来たばかりの時は、トルコ人というのは特に遠い存在でした。
黒人の人も遠いですが、でもアフリカ系の人はほとんどカトリックで
そういう意味ではイスラム教徒のトルコ人の方が、なんとなく
かけ離れた存在に感じていました。
宗教の違いというのは時としてそのくらい、対面した際の伝わってくる印象
が違うものですし、欧州の殖民地だったせいでフランス語、あるいは英語
がペラペラのアフリカ人はトルコ人に比べ、むしろ西洋人に近い感覚の
人達だといつも感じます。
そうはいっても日本から来た私には黒人の人達もとても遠い人達と
思っていたのは言うまでもありません。
自分から積極的にお付き合いしたいとは正直、他のイギリス人やフランス人
あるいは東ヨーロッパ人と比べたって自分の心の中にはありませんでした。
…自分の中に肌の黒い人達に抵抗があったというのが真実だと思います。
私自身も黄色い人で、「中国人・韓国人」に間違えられると不快に思うのも
これまた「中国人達と日本人は違う」と思う自分の心のうちから来ている
ことも考えると、なんて差別意識が強いこと、と思いますが、これは多分
大抵の日本人がそう感じてしまうのではないでしょうか。。。
日本には外国人が少なくて、そういうわけで白人のうちの主人といても
日本で差別的ないやなことを言われたことだってあることを考えれば、
人間というのは基本的にはどこでも自分とは違う人種を差別しながら
生きているものなんではないかと推測できます。

ただドイツでトルコ人やアフリカ人に対して、自分がかわったのは
子供の友達に、黒人の子や、トルコ人、リバノン人など色々な国の
子供ができたからで、もともとはそれこそ難民として家族で
ここに移住してきた子供達もいるんですが、もしそのときにドイツが
彼等を難民として認めてあげなかったなら、今の彼等一家はどうなって
いたのかを考えると、知り合いが現実にいるだけに正直恐ろしい気持ち
になります。
うちの長男が生涯こんな素敵な人に2度会えるのかどうか、と
いうくらい感銘をうけたコンゴ出身のサッカ-チ-ムの監督さんだって
昔に難民として来た一家だったんですが、今はブンデス1部リ-グ
下部組織の監督さんになり大学にも通い、順風満帆な青年期を
過ごしているわけで、そんなことが可能ならばドイツの難民受け入れ
はとても意味のあることだと思います。
もちろんいつでもそうそううまく事が運ぶということではないですが…。
でもフランス語を話したら、敵対する町の人達から殺されるという恐怖の
中で生きていくくらいなら、ドイツで生きるほうがいいに決まっていますし
ドイツがそれを手助けできる国で本当に良かったです。

トルコ人は難民ではなく、移民として来た人達が多く、ドイツ人に
とけこまずトルコ社会を作って暮らしているのが問題だそうですが
うちの子供たちが普通にトルコ人達とつきあっているのを見ると
少なくともうちの町近隣では、あと何十年かしたらこの垣根も
ますます低くなるのではないかと予想されます。
この子供たちが親になる頃には、今よりもっとお互いの
距離が縮まっていると思うんです。
だって子供達はもうトルコ人にもアフリカ人にも、他の外人にだって
ク-ルな人はいっぱいいるのを知ってしまったんですから
変な偏見のない世界が近くなっているのは間違いないでしょう。
とはいうもののギムナジウムに通っているのはやはりドイツ人の
子供が多いため、うちの子供たちのトルコ人の友人たちは
サッカ-チ-ムの子供達なんですが、実はトルコ人はサッカ-が
すごく上手な子供が多いようなので、いずれドイツ代表チ-ムも
半分くらいはトルコ人になるかもしれませんね。
そして一体それのどこが悪いというのでしょう。
純血ドイツ人にこだわる必要がないと、ドイツ人が思うなら
それはそれでとても良いことではないですか?
だいたいうちの子達だって半分日本人の血をひいたドイツ人
ですからドイツ人の血が薄いという点では同じことだとおもいます。
いつかドイツ人が少なくなって、移民・難民の血筋の子供たちが
多くなっても、ドイツで育った彼らはやはりドイツ人になるのだと
思います。
ドイツ人の出生率が下がり、高齢化が進んでいるなか、ドイツの今回の
難民受け入れは、難民が将来年金制度を支えてくれるはず、ということ
なのであれば、やはりそれはそれで理にかなっている政策と思わず
いられません。


ドイツ難民問題 その3

ドイツに来る難民の数が100万人ではなく、150万人になり得るという
この状況の中、様々な意見がニュ-スでも聞かれるようになっています。
そんな中メルケル首相の10月1日の支持率は9ポイント低下の54%で、
ユーロ圏債務 危機の最中だった2011年12月以来の低水準となった
そうで、一方、首相の難民政策を強く批判するキリスト教社会同盟
(CSU)の ゼーホーファー党首への支持は11%ポイント増えて39%
になったことなどもあり、ドイツのTVのニュ-スでも9月から、
毎日この話題でもちきりです。

それでも、まだなんということか私の周りでは難民受け入れに反対する
ドイツ人には会ったことがありません。
そもそもうちの村はカトリック色が強いせいもあるのでしょうけれど
難民収容施設ももう何十年も村にあるのですが、その件で
否定的な話も聞いたことがありません。
そもそも難民の人達が何十年も普通に村に溶け込んできた実績が
あるので、そのことに対する抵抗感、危機感が低いのだと思います。

うちの町は研究所の町なので、その家族のためのインタ-ナショナルクラブ
があり、そこで会うドイツ人にしろ、また最初に住んだ人口350人の村の
ドイツ人も皆親切でそれが普通と思っていましたが、先日ポ-ランド人の
友達に「あなたはラッキ-ね、最初から親切なドイツ人しか知らないから、
今までそれが普通と思ってきたでしょう、ドイツは本当はそんなに親切な人
ばかりじゃないのよ。私は17歳でここドイツに来て、大学にも行き、色々な
街にも住んだことがあるからわかるけれど、今までこの町くらい外国人に
住みやすい町はなかったわ」と言われ、そんなことは考えたこともなかった
のでびっくりしました。

それはまた反対側から見れば、うちの街のドイツ人は研究所関係の外国人と
接しているため、自分達より教育レベルが高いのは外国人という構図が
出来上がっているようで、外国人に差別意識は低く、そんなことから
難民の人にもひどく接することが少ないため、うまく共存できているのかもしれません。

なので「難民受け入れに反対しないドイツ人」を知っている私には
「難民受け入れに反対している外国人」の気持ちは理解できません。
東ヨ-ロッパの国から来た人にその傾向が強いようで、でもそれは
やはり自分の国が経済的に恵まれていないのに、難民たちがドイツから
手厚く補助を受けることが心のどこかで納得できないせいなのかも
しれません。1ヶ月の医師の報酬が500ユ-ロ(約65000円)に
しかならない東欧の国もあり、そういう国の人がなぜ難民がそれ
以上の金銭的な支援を受けられるのか理解できない、ということは
想像できます。
でも40年以上前、まだEUが今みたいではなかった頃、東ヨ-ロッパは
本当に貧しくてドイツからよく食料、支援物資を送る運動があったそうで、
その時は自分たちも助けてもらったのではないですか。
そもそもEUのメンバ-になることができたのは、この寛容なドイツの
おかげも多少はあり、また現在ここドイツでも、もちろんここで充分
税金は納めているとはいえ、それに見合った恩恵も受けているのも
本当でしょう。恵まれた保険制度で医療費は無料、入院、薬代まで
かからない上、子供の通う学校も無料なのは世界広しといえども、
欧州全部がそうではないです。
だからせめてここに住んでいる外国人にはドイツの政策を声高に
否定しなくたっていいのではないでしょうか。
この国のドイツ人達がそう決めて、そうしたいなら好きにさせてあげて
欲しいのです。

だいたい戦後ナチ問題を乗り切って、貧しい東欧州をEUに入れて、
欧州全般の数々の経済危機を乗り切ってきたドイツの政治家が、
なんの目算もなくボランティアだけでこんな行動に踏み切れるもの
でしょうか。
ギリシャ問題の際も、戦後70年たった今でも何かあればナチスの件を
持ち出され諸外国からお金をむしり取られ続けているドイツなんで
この難民問題でかかる損失は、もしかしたら他のことと比べたら意外にも
採算がとれることなのかもしれないと考えたのかもしれません。
少なくとも今後はナチスの件をぶり返され、ドイツの非人道さを話題に
されることはなくなるだろうということを考えれば、その経済効果は援助
にかかる費用と莫大に違わない可能性もあるでしょうし。。。
(でもこれは全くの私の自論なんで至極検討違いの可能性有りですが)
でも私は信じたいんです。こんなことで駄目になってしまうドイツなんかではないと。

またこの問題で忘れてはいけないことは、
他国と根本的に大きく違うのは、ドイツでは法律があるからです。
ドイツでは亡命権は憲法で保障されています。
ドイツの憲法である基本法第16条A項は、
「政治的な迫害を受けている者には亡命権を与える」として
亡命権を人間の基 本的権利の一つと規定しているわけです。

また先日、日本のアニメーターによるシリア難民の少女を描いた
イラストが世界から批判されたのは最もなことだと思います。
ドイツだけではなくて欧州の国では、長年、亡命者を受け入れるという
ことは人数はともかく、それでも人道的にはごく普通のことだったからです。

ある程度豊かな暮らしを構築できている私達が、家を失い路頭に迷い、
助けを求めている難民にできる限りの支援をしようとメルケル首相の
政策を影ながら応援したいと思うドイツ人を多く知っている私は、では
私もせめてドイツ人のその気持ちを邪魔しないようにしたい、そんな風に
思っています。

ですが、それと同時に周りがこの難民制度に反対する人ばかりであれば
今の私のこの考えはなかったかもしれないということもわかっています。
私こそ人種に対する偏見も多かったですし、今でも日本は出来る限り
難民は受け入れないほうがいいのでは、と思っているくらいですから。。。
でもだからこそ、ドイツ人が頻繁に使う好きな言葉 Menschlich
(人道的な)を体現しようとしているドイツを応援したいのです。
だって世界にひとつくらいはジョン・レノンの「イマジン」のような
そんな国があったって決して悪いことではないでしょう?


想像してみよう、国なんてないと
そんな難しいことじゃない
殺すことも誰かに殺されることもない
宗教もない世界のことを
想像してみよう、僕らみんなが
平和な人生を送っている姿を
君は僕を夢想家だと言うだろう
だけど僕はたった独りじゃない
いつか、君も僕らといっしょになって
世界がひとつになって共に生きれればいい
(ジョン・レノン イマジン より)



知識なしの幼稚な考えと例え思われたとしても、
それでも全世界の人がこんな風に頭の中で想像するだけでも、
未来は少しは平和に近づいてくれるのでは、と思ってしまいます。
賢くて争いがあるなら、無知で平和な世界の方を選びたいです。。。
そして人に与えることができるほど、ドイツは既に経済的にも
精神的にも豊かな国であることを誇りに思います。



ドイツ 諸聖人の日   11月1日

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今日は11月1日ということでドイツでは1年のうちでも
特に大事なカトリックのお祭りで「全ての聖人と殉教者を記念する日
(古くは「万聖節」と呼ばれていた)」でした。
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うちの三男が今日 Messdiener(ミサの手伝いをする堂役と
呼ばれる少年)のお役目だったこともあり、またこの日は日本のお盆の
ように死者(今日は主に聖人、明日の11月2日は本当に全ての「死者の日」
2年前に亡くなった義父を偲び、家族全員でミサに参加することにしました。
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ミサ終了と共に、神父様と堂役のあとについて皆で
墓地まで移動します。
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そこでは主の祈り「天にまします我らの父よ」と天使祝詞「めでたし
聖寵充ち満てるマリア」の祈りを唱え、解散となりました。
日本語では唱えられるのですが、ドイツ語ではまだきちんと覚えて
いないため、いつも口の中でもぐもぐしてしまう私です。。。
allerhei4.jpg
お墓にこの赤い瓶に入った蝋燭を置くのが、ドイツでは
一般的です。

ちなみに今日の写真はうちの村のものではないので全て少し
ゴ-ジャスです。
長男、次男が教会で私が写真を撮ることには大反対
(不敬虔なんだそうで)自分で撮る事ができませんでした。
三男の堂役姿が小さくて本当にまだかわいいので、今のうちに
是非一度撮りたいものだと思っています。。。。。

明日は11月2日で「死者の日」です。

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