プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう16年生活しています。ドイツ人の夫と、3人息子、そして一人娘(?!)の猫マルゴと共に、ドイツの子供の生活、ドイツサッカ-をはじめ、テニスやブレイクダンス、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 

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テコンド黒帯テスト

テコンドについてブログに書くのは、どういうわけだか今回が初めてですが
三男は昨年から、長男と次男はかれこれもう7年テコンドの
トレ-ニングへも通っています。
私は日本人として、最初は本当に柔道や合気道をしてほしかったんですが
うちの町のテコンドクラブの先生は韓国人の方で
ドイツ人の先生たちより、なんとなく身近に感じました。
ドイツ人の柔道家ももちろん良いんですが、単純に流れている武道の血が
違うと言えばいいんでしょうか…。
柔道で「礼」がドイツ語読みで「ライ」になるくらいなら、韓国語のテコンドも
悪くないと思いましたし、とにかく子供たちが気に入ったのが大きな原因でした。


長男が10歳くらいの時は
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7人飛び越え板割り
tae2.jpg
輪の中をくぐりつつ、5人飛び越えての板割りや
_MG_0567.jpg
これは板割りの瞬間を上手に撮れた写真

などなど、当時はテコンドクラブ内では大活躍でした。
この数年、うちの長男以外にこんな芸当をさせてもらった生徒さんは
他に見たことがないことを考えると(うちの次男もさせてもらえませんでした)、
やはり長男は特に運動神経が良いのかもしれません。
でもそれから5年たち、長男も今はこんな芸当はもうできないようです。


それで7年練習して、長男は最近やっと黒帯テストを受けることを承認され
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何枚かの板割りにも挑戦して
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護身術も随分上達して
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黒帯びテストにも合格しました。
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なんとなく一区切りついた気分で安心しました。
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1ヶ月前には次男も8級(青赤帯)、三男も2級(白黄帯)テストに合格しました。

日本でもこんなに帯の色がカラフルなのかどうかは知りませんが
帯の色は  
白、白黄、黄、黄緑、緑、緑青、青、青赤、赤、赤黒、そして黒帯となります。
結構長い年月が必要で、あまり熱心ではない次男が
黒帯になる日はまだまだ遠いようです。

泥棒が侵入しても、3人で撃退できるように
頑張ってほしいです。
…ま、そんな映画みたいなことは起きないでしょうね。

日本語学習とスイカ煎餅

日頃、男の子しか訪ねて来ないうちの家に
今日は珍しく、12歳のお嬢さんがお客さんとしてやってきました。

2年後に日本に留学したいという大きな夢を持っている彼女は
日本語を勉強したいということで、これからうちに時々くることになりました。
今日は初めての日だったので、勉強後、一緒に海苔巻きを
食べました。おいしいと喜んでくれたんですが
日本のお煎餅と麦茶も好き-今日ははじめて食べたというのにーと
いうのには驚きました。

味のしない麦茶、甘くなくてなんだかどんなお菓子なのか理解できない
お煎餅は、外国人にそれほどウケがいい日本の食べ物ではありません。
主人の研究所の人たちは日本の共同研究しているお客さんから、とても高級な
おいしいお煎餅をおみやげにもらうと、よくそのまま私達にくれることがあります。
おいしさがわからいのだそうです…。とても残念なことですが、私やうちの子供たちに
とってはとても嬉しいことで、持ってきてくれた日本人の方には申し訳ないな、と
思いながらも、喜んでうちの家族でいただいてしまっています。。。

…つまり私が言いたかったのは、すんなりおいしいと初めから思うには
意外に難易度の高いお煎餅と麦茶を即答で好きというドイツ人の金髪の彼女、
日本で生活するにはほぼ問題なさそうだな、ということでした。

両親そろって物理学者のせいなのか、ひらがな、カタカナを書いてもらえば
文句も言わず、もくもくと書き続けーしかもきれいな字で-、学校の成績は
トップクラス、数学が得意というお嬢さんで、なんだかうちの3人ドラ息子とは
あまりに勉強に対するアプロ-チの仕方が違いすぎて、驚きました…。
育て方のせいなのか、そもそも遺伝子が違うのか…または女の子と男の子の
違いなのか、定かではありませんが、うちの次男と同じ年だというのに
もっとしっかりしていて年上に見える彼女を見て、どうしたらこんな風な
お子さんができるのか、彼女のお母さんに聞きたかったくらいです。

羨ましいですね…。
夏休み中はうちの3人ドラ息子にも、勉強させようと少し思った出来事でした。

それからすごいのは日本のお煎餅で、今回いただいたのは
スイカの形(輪きりの)だったんですが、種や皮の様子まで
お煎餅で再現している、すごく手の込んだお煎餅でした。
日本人の物作りの技術の高さは、本当に感心させられますよね。
心がこもっているものを作ろうと努力するのが、日本のすごいところなんだと
思います。進化し続けようと努力を怠らない勤勉な日本人の血が、
私や息子3人にも入っているはずなのに、怠惰な私達親子4人(主人以外)です。。。

suika.jpg
( このスイカの形を見るだけでなんだか夏っぽい気分になれますね、
  とても日本ぽい、とっても素敵なお菓子です。)

再びダナカップ

デンマ-クから無事帰宅した、長男と次男ですが
長男のBグル-プでの2位は、はっきり言ってクラブ内では
問題外の結果で、特に賞賛には値しないーというかそれどころか
逆に全然良い結果ではなかったのだそうです。

長男の決勝戦では、うちのクラブのU13のAグル-プでの
決勝と重なり、長男たちの試合を見に行ったクラブの関係者は
ゼロ(次男ももちろん行かず、ついていった何組かの父兄まで
U13の決勝を見たそう)で、長男本人ですら
自分の試合より、その決勝を見に行きたかったくらい、と
言う有様でした…。

Aグル-プは、予選で1位、2位になったチ-ムによる本選で
そこでの優勝は参加チ-ム(約112チ-ム)の1位であり
Bグル-プは、予選で3位、4位になったチ-ムによる本選なので
そこで優勝したところで、Aグル-プのチ-ムより、順位は下がり
約半分以下の56位前後になれるだけ、という意味なんだそうで
2位になったと、私は喜んでいたんですが、どうも的外れな
喜びだったそうで、数日前に書いたブログが恥ずかしいほどです…。

本当に厳しいサッカ-の世界です。。。


実はうちの近所に、埼玉選抜のU18の皆さんが来ているようで
アルマニアア-ヘンとベルギ-のオイペンチ-ムと大会をしているのを
偶然知り、昨日見にいきました。
いつもうちの長男、次男が選抜トレ-ニング(トレセン)で
練習しているサッカ-場でした。

久しぶりに日本人選手の皆さんを見ることができて楽しかったです。
…しかもこんな超ど田舎で、こんなにたくさんの日本人軍団を見られるとは
思いもしませんでした。
体格を、技術や速さでカバ-できるのは立派です。
最後はアルマニアア-ヘンに負けて2位でしたが、長旅の末の
大会でしたので、褒めてあげたいです。
ドイツ語、フランス語、日本語の飛び交う、
たった3チ-ムだけでも、充分国際的な大会でした。


香川選手の少年時代のとっても素敵なエピソ-ド

kagawa.jpg

香川選手のとっても素敵なエピソ-ドを見つけてしまいました!!!
http://news.livedoor.com/article/detail/7897063/

25日放送、フジテレビ「ライオンのごきげんよう」では、
サッカー解説者・永島昭浩氏が出演。マンチェスター・ユナイテッドで活躍し、
世界的トッププレーヤーたちの仲間入りを果たした香川真司の
少年時代について、あるエピソードを語った。

番組お馴染みのサイコロトークにより、「ザンネンな話」をすることになった
永島氏は、「私の息子が、今年20歳になるんですけど。高校までは(父に)
気を遣ってサッカーをやってくれていた。今はやってないですけど・・・」と切り出す。

すると永島氏は、「小学校の時に一緒に(息子と)チームメイトだった子が、
近所の公園でサッカーをやっていたんです。サッカーをやっている時に、
近所の3つか4つ上のお兄ちゃんが“みんな集まって”ってまとめてくれて、
スクールでもなんでもないのに、サッカーを教えてくれてた」と続けた。

「結局その子が一番うまくて、テクニックもあって。ゴールキーパーまで抜いて
シュートを決めようって時に、必ず低学年の子供たちにシュートを打たせてあげる。
それで(子供たちが)サッカーをすごく好きになって、“絶対Jリーガーになろう”って
思ってたんですって」と話した永島氏は、「ある時、みんなが中学生くらいになって、
パッとJリーグの試合を見てたら“あっ、お兄ちゃんだ”、“(サッカーを)教えてくれた
お兄ちゃんだ”って見つけて。その選手がなんと香川真司選手だったんです」と明かした。

これには、スタジオから「ええぇー」という声が挙がり、司会の小堺一機も
「なんて素敵な話なんだ」と驚いたが、永島氏は「チームメイトの友達は、
(香川に)教えて貰ったから今も頑張ってサッカーやってるんですけど、
残念なことにうちの息子は真司に教えて貰っていないので・・・」とオチをつけた。



香川選手はサッカ-が上手なだけではなく、うちの村の青年たちのように
小さな子供たちに自分が少年時代から優しく接することができる
特別な子供だったんですね。。。

…なんだか感動しました。。。

ダナカップ その2

長男の試合結果が発表されました。

2対3 にてスウェーデンチ-ムの優勝とあいなりました。

うちのクラブでの他のチ-ムの成績は

U11 1/8フィナ-レ(Aグル-プにて36チ-ム中)
U12 1/8フィナ-レ(Aグル-プにて76チ-ム中)(次男チ-ム)
U13 1位(Aグル-プにて92チ-ム中、決勝では4対0での勝利)
U14 1/8フィナ-レ(Aグル-プにて120チ-ム中)
U15-1 1/16フィナ-レ(Aグル-プにて112チ-ム中)
U15-2 2位(Bグル-プにて56チ-ム中)

長男チ-ム以外は、全て予選1位突破で
Aグル-プでの本選ですから、もちろんU15の
1軍チ-ムの1/16敗退と、2軍チ-ムの準優勝の意味合いは
異なりますが、それでも世界中から参加した52チ-ムの
うちの2位なら充分意味があるのではないでしょうか。
一方、U13は92チ-ム中1位ですから、これは
本当にすごいことだと思います。

それにしても最初の予選では2回も負けて、
こんな大どんでん返しがあるとは思ってもみませんでした。
U15の1軍チ-ムがそのまま首位を独走すると、多分
誰もが思っていたことでしょう。
99年度生まれの選手たちも混じっている2軍チ-ムが
例えBグル-プでも2位に輝けたことは、本当に
評価してあげたいです。だってそれは多分
自分たちの状況に、最後まであきらめなかったということでしょうから…。

…これがサッカ-の醍醐味なのでしょうか…。
…人生でも時々こんなことってあるものです。
最初順調に見えたことが以外な所でつまずき前へ進めなくなり、
最初はなんてアンラッキ-なのだろうと思ったことが、
実は幸運への道のはじまりだったり…。

自分が与えられた状況の中、とにかく希望を持って前進し続ければ
道が開ける、という人生の鉄則を、自分達の身を持って体験することができ
良い経験になったことでしょう。
今日の誇り、喜びを(ついでに悔しさも)忘れないで
成長していってほしいです。

今夜か明日の朝帰宅する、2人の成長した姿を見るのが楽しみです。

ダナカップ-世界で2番目に大きい国際大会-

毎年7月最後の週に、32年にわたりデンマ-クで開催されている、
ダナカップという世界で2番目に大きいサッカ-大会があります。
(ちなみに世界で一番大きい大会はスウェ-デンにて開催)

うちのクラブチ-ムは、今年で28回目の参加になり
伝統的なクラブの行事の一つになっています。
参加できる年はU11からU19までで、
長男は今年で3回目、次男は2回目の参加です。

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(お気に入りの寝具を抱え、バスに乗り込む子供達)

土曜日の夕方、クラブ貸切りバスで、1000kmの道のりを
14時間かけての移動後、寝泊りは大きい体育館にてそれぞれ
寝袋の中で、三食の食事は会場の食堂で美味しいとはあまり
いえないデンマ-ク料理とのことですが
子供達にはそれでも最高に楽しい、1年で1番この日を
楽しみにしている行事の1つです。

今年の大会参加チ-ムは923チ-ム、43カ国の国から、
2万人の選手が参加したそうで、大会は毎年約1週間にも及び、
まず年代別4チ-ム毎に予選が行われます。
その中で1位、2位に入賞したチ-ムがAグル-プ、3位、4位だった
グル-プがBグル-プに分かれて、本選にて決勝に向けた戦いを繰り広げます。

今年は長男U15の参加者は2つのチ-ムに分けられ
1軍は1998年度生まれの子供達だけ、2軍は98年度と99年度の
子供混合チ-ムということで、長男は2軍チ-ムに
振り分けられました。

そもそもチ-ムの半分が1年下の年代という不利な状況で
予選では2回負け、3位での予選通過になり、
Bグル-プでの本選ト-ナメント突入と相成りました。

試合結果は順次、インタ-ネットのサイトで更新され
本選ではAグル-プ48チ-ム、Bグル-プ52チ-ムの
1/32からスタ-トでした。

うちのクラブから今回参加したチ-ム中、
U11、U12(次男チ-ム)、U13、U14、U15-1は
全て1位突破で、予選を1位で通過できなかったのは、
うちの長男のU15-2軍だけでした。
正直Bグル-プ本選で1/8まで行ければ、御の字と思っていた私は、
今大きく予想を裏切られ、少し興奮気味です。

なんと、うちのクラブ内で、予選では唯一負けていた長男チ-ムが
準決勝でアメリカのチ-ムに勝ち、決勝進出となったのです!!!

長男の決勝まで、あと3時間です。



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(父兄たちのお見送りも恒例です。そのまま自分の車でデンマ-クまで
一緒にいき、大会を観戦しながら休暇を過ごす父兄もけっこういます)

「命の器」 その2

私の亡くなられたお友達の話をもう一度だけ
最後にここで書かせて下さい。
ブログではお友達のプライベ-トにはふれないようにしますと
宣言した私に「好きなこと書いていいのよ、だって
そうじゃなければ面白くないでしょう」と言って下さった
Mさんなので、こうやってMさんについて書くこと、
許してくださることと思います。

Mさんは人のために何かすることを厭わない方でした。
それは招待してくれた時の彼女の手料理からもよくわかります。
私は今までMさんと知り合ってからの5年の間、数知れず招待してもらいましたが
未だかつて彼女の家で同じお料理がでてきたこともなければ
たくさんの種類のお料理のあとですら、とても手の込んだケ-キや
日本のデザ-トまで手作りで用意して下さっていたことからも明白です。
招待する際は、町の日本人全員に声をかけて下さり、
数年しかここに滞在しない日本人の皆さんの歓迎会と送別会には、
いつも心をかけて下さいました。
ここドイツで日本食材を使った日本料理を用意することは
それほど簡単ではありません。
彼女の家で7品から10品にもおよぶ手作りの和食パ-ティ-は、
この外国の小さな町に住む私達日本人にとって
どれほど憩いの場であったことでしょう。
Mさんは病に倒れ、半年の余命と宣告されたあとも、
ご自分の体調のいい時は-それどころか悪いときも-
そうやって私達に心遣いをして下さった方でした。

一方、インドネシア人のTさんも、日本語、英語、ドイツ語は
ペラペラで、物理で博士号をとるような才女でありながら、
彼女の作る料理もまたいつも手の込んだものでした。
和食は作るのに手がかかるので、日本ではケ-キがあまり
発展しなかったと、以前日本人のお料理の専門家に聞いたことが
ありますが、彼女もMさん同様、和食とともに、食後に数個の
手作りケ-キを用意してくれる人です。
お二人は人に何かする時に、心をこめて用意することが
できる、とてもすごい人達なのです。

なので、以前彼女と私の仲が良かったイギリス人とイタリア人の
友人が「人を招待するのは面倒、だってお料理作るのが大変だから」と
言っているのを聞いて、Tさんはその2人と友好を断ち切ったほどです。

でも私はTさんほどその言葉に憤慨することは
悲しいことにできませんでした。
その2人のようには思わなくても、TさんやMさんのように
心底、心を込めた接待をできないのなら
私だってあまりかわらないと思ったからです。

今回「命の器」を思い出してから、色々考えてみれば
亡くなられたMさんと似た魂を持つTさんという人が
こんな近くにいたとは気がつきませんでした。
こんなことなら生前お二人がもっと会う機会を私が作れば
良かったです。
お二人はお嬢さん同士が親友ということで、二人だけで
会ったことは少なかったと思われます。

MさんとTさんにはこんなにもたくさんの
共通点を見つけることができるのは驚きでした。
Mさんの生前にはあまりそのことに気づいていませんでした。

でもMさんが亡くなられた今、彼女のお嬢さんが親友の家に遊びに行き、
そこでお母さんにとてもよく似た魂を持ったTさんに会えるということは、
そばにいる私達もなんだか安心させてもらえます。
…Tさんがいて本当に良かったです…。

Tさんは敬虔なイスラム教徒で、そのことではこの12年の間
相違の見解で、何度か言い合いもしたことがありましたが、
これからはもう少し私も彼女を大切にしたいと思います。
彼女自身も大切にされるべき、Mさんのようなすごい女性なのかも
しれないと、今更ながら気がつきました。



…Mさんについて書くことは今日で最後にしたいと思います…
書くことによって救われる気持ちがしていました。

Mさんが天国で安心していられることをもう一度心からお祈りして…。
 

「命の器」-宮本輝さん

宮本輝さんの「命の器」という詩を、教えてもらった
ことがあります。
大切なお友達が亡くなり、今回この詩を思い出す出来事が
ありました。

お友達が亡くなった際、私が一番に考えたのは
お葬式の献花のことでした。
生前、親しくしていた日本人皆さんに声をかけ
皆さんからも賛同してもらい、ではそろそろお花屋さんへ
行って準備を、と考えていた頃に、ちょうど亡くなられたMさんの
お嬢さんの大親友Iちゃんのお母さんであるTさんと道で
ばったり会い、Tさんもその仲間に入りたいですか?
と尋ねたのです。
Tさんはインドネシア人ですが、日本で物理の博士課程を
終えられ、流暢な日本語を話す、実は私自身の12年来の
とても大事な友達の一人です。
彼女は私の中では、日本人友達といっても差し支えないほど
とても近い存在なのですが、返ってきた言葉は
「まずお葬式の案内状をみましょう。きっと病気の可哀想な人たちへの
献金をお願いしたいということになる可能性がありますから」と
いうもので、私は出鼻をくじかれたような、なんだか悲しい気分に
なっていました。
Tさん確かにイスラム教徒で、博愛精神に満ちていたとしても
日本人で普通の仏教徒だったMさんが、そんなことを希望しているかしら、
私たちは皆で、Mさんの最期をきれいなお花で飾ってあげたいというのに
なぜTさんはそんなことを言うのだろう、と思慮のない私は一瞬
憤慨したほどでしたが、数日後に届いた案内状ではまさに、
その通りのことが書かれていました。

「花輪やお花を持ってきて下さるかわり、どうかここの癌患者さん達を
援助している団体に献金をお願いします」というものでした。
ドイツでは確かにそういう方が割合に多いとはいえ、でも
日本人のお友達がそれを希望する、とは正直私は想像も
していなかったのです。

数日後、お葬式に向かう車の中で、Tさんに尋ねました。
Mさんの生前にお互いそんなことを話していたのかと
思ったのです。
すると彼女はこう言いました。
「いいえ、彼女と生前にそんな話はしませんでしたよ。
でもそれは想像つくでしょう。死んでしまった今、まだ病気で
苦しんでいる人たちを救いたい、と思うのが当然だと思いますよ。」

Tさんは、神戸の震災でも、宮城の震災でも
はるか遠いドイツから、まして自分の本当の故郷でもない国
日本へ、すぐに支援金を送ったような人です。

彼女のお嬢さんと、亡くなられたMさんのお嬢さんが
大親友の意味がわかりました。
お母さん同士が同じ魂を持っているからなのですね。

まず花輪を考える私とは、決定的に人間性が違うな、と
今回つくづく思い知らされました。

宗教は違っても、同じ価値観を持っているお二人が
こうやってお子さんを通して、異国の地で巡り会うなんて
本当に世の中って不思議なものですね。
これこそ、まさに「命の器」なのだと今回思いました。

宮本輝さんの「命の器」の詩、ここに書かせていただきます。


「 命の器 」

運の悪い人は運の悪い人と出会って
つながり合っていく。

偏屈な人は、偏屈な人と親しみ
心根の清らかな人は
心根の清らかな人と出会い
そしてつながり合っていく。

「類は友を呼ぶ」という
ことわざが含んでいるものより
もっと興味深い法則が
人と人との出会いを
作り出しているとしか思えない。

仏教的な言葉を使えば
宿命とか宿業であったりする。

それは、事業家にも言える。
伸びていく人は
たとえどんなに仲が良くても
知らず知らずのうちに
落ちていく人とは疎遠になり
いつのまにか自分と同じ
伸びていく人と交わっていく。

たくらんで、そうなるのではなく
知らぬ間に、そのようになってしまうのである。

抵抗しても、抵抗しても
自分という人間の核をなすものを
共有している人間としか
結びついてゆかない。

私は最近やっと
この人間世界に存在する
数ある法則の中の一つに気が付いた。

「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければ、どうして「出会い」が
一人の人間の転機となり得よう。

どんな人と出会うかは
その人の「命の器」次第なのだ。



亡くなられたMさんは、お嬢さんの親友のお母さんが
自分と同じ価値観を持った人で、今頃天国できっと安心して
いらっしゃることでしょう…。友達って本当にすごく大事ですから…。

…再びご冥福をお祈りして…。

「雨ニモマケズ」 その2

「雨にもまけず」を調べていたら、この詩には
実在のモデルがいたのだということです。

以下、そのサイトをそのまま添付させてもらいます。
http://www.asyura2.com/amenimo.htm
(出典はこちらです)


以下の文章に出てくる斉藤宗次郎とは、宮沢賢治作の
『雨にも負けず風にも負けず』の実際のモデルとなった人です。
斉藤宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として
生まれました。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を
受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。
しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。

当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。
彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、
親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。
それだけではありません。迫害の手は、家族にまで及んできました。
近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、嫌がらせで、
放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることも
ありました。そして、さらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の
愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして
亡くなってしまったのです。亡くなる時、愛子ちゃんは、讃美歌を歌って欲しいと言い、
讃美歌を歌うと、「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。

宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして、彼は
「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。
普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎は、むしろ、
その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。
牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら
迫害する人々にキリストを宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、
10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しはあまりにも有名です。

そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人の
お見舞いをし、励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も、
雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。
彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。
そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に
引っ越すことになりました。

花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って
駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、
生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、
駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという
配慮をしたというのです。実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。

それは、彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った
強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。
この人こそ、東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという宮沢賢治の詩に
あるようなことを普通にやっていた人でした。
そういう宗次郎の生活ぶりを見ていた、宮沢賢治が、「こういう人になりたかった」
という思いを込めて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。



宮澤賢治さんの「雨にもまけず」を知らない人は日本人では
いないでしょうが、この逸話は私は全く知りませんでした。
感動してしまいました。

昔はすごい人がたくさんいたんですね。



雨ニモマケズ

先週、とても大切なお友達が亡くなりました。
3年もの闘病生活の末で、まだ51歳という若さで
神様のみもとへと、旅立たれました。
この町に住む私たち日本人の心の拠りどころであり
また51歳とは思えないほど、人間的にも完成された
誰もが尊敬してやまない素晴らしい方でした。
ご自分の命がもう半年しかないとわかっていても、私たち日本人を
招待し続け、楽しい時間をたくさんわけてくれました。
この小さな外国の町で、ずっと一緒に年を取っていけると、
信じていた数少ない日本人の先輩でした。

その方に、この詩をささげます。
これからもこの詩を見る度に、私は彼女を思い出すことでしょう。
この詩をそのまま体現していた、本当に芯の強い素敵な日本人女性でした。

ご冥福を心からお祈りさせていただきます。



「雨ニモマケズ」  宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ



長男 選抜最後のトレ-ニング

130708 002
昨日は今シ-ズン最後の選抜トレ-ニングで
長男のU15グル-プは、夏以降、市内の選抜特別トレ-ニングは
残念なことにもう卒業です。
U15はこの1年で25人くらいに増えたんですが、そのうちの
たった2人だけが、もう一つ上の選抜チ-ム行きが確定しました。
日本語で言えば市選抜ではなく、県選抜に近いカテゴリ-になるわけで
そのうちの一人は彼のお兄さんがブンデスでプロのサッカ-選手として
活躍しています。
血は争えないということですね。

ところであれほど心配していた次男でしたが、なんということか
今回選抜から放出されずにすみました。
21人のうち、5人の子供が残留できないと申し渡されてしまったんですが
なんとうちの次男は大丈夫だったんです。
先週申し渡しがあり、それでもなんだか信じられなくて、
監督さんが「ああ、もう一人忘れていたんだが…」と言い出すのではないか
本当に半信半疑な状態だったほどです。
選抜に入れただけでもラッキ-だったうちの次男が、なんとここで
残れることにまでなり、彼ほど強運の持ち主はいないのでは、とさえ
思います。
…でも親としては本当に安心しました。
途中で辞めさせられのは、最初に選抜されないことよりももっともっと
悲しくて、子供の心に傷を残しそうな気がして、それが心配でした。
でも親の心配はよそに、「別に辞めても良かったのに」と減らず口を
叩いている、厚かましいうちの次男です。。。
130708 010
この夏からは彼も性根を入れ替えて、精進して頑張ってほしいものです。
少しは上手になろうとか、大事なのはそういう気持ちなんですから。

それにしても来年度から新しく来る、2002年度生まれの子供たちの選考方法は
けっこうハ-ドで、まず10人が選抜の確定をもらえるんですが、残りの16名は
4週間おきに1ヶ月に1回ずつ4人が順番に練習に参加して、最終決定は今年の
冬の12月なんだそうです。
確定をもらった10人以外の16名は、今から冬まで気が抜けず、なおかつ
戦って勝ち抜かなければ選抜に入れないだなんて、まだ11歳前後の子供たちに
厳しいことをするもんだな、と思いました。

もしうちの次男がその中の16名で、これから4ヶ月もその状態で頑張らなければ
ならなかったとしたら、そこで勝ち残っていけるチャンスは全くなかったことでしょう。
いかんせん、いつでもコンスタントに頑張って努力するなんてことは
更々ごめんというタイプなんで…。
1年早く生まれて、本当につくづく悪運というか、強運の持ち主だと思います。
とにもかくにもラッキ-な奴です。次男なせいですかね。。。

テニス大会

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昨日はクラブの子供たちだけでの、お遊びダブルス練習試合大会でした。
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上は15歳から、下は5歳まで、それぞれグル-プに分かれての
対戦でした。
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この写真の少年は最年少の5歳で
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この2人は最年長の15歳です。
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うちの長男グル-プは7年前から4人で仲良くテニスをはじめ
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今ではみんなこんなに大きく、カッコ良くなりました。
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仲間の一人、皆で一緒にしていたサッカ-チ-ムでキャプテン
だったルカはこんなミニバイクにも乗り始め、うちの三男は
バイクにまたがり記念撮影させてもらい大喜びでした。
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気を良くした私は、久しぶりにみんなを連れてアイス屋さんへ行きました。
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いかんせん、この3人は長男の幼稚園時代からの大親友です。
このうちの2人とは今でも同じギムナジウムへ通い同じクラスで、
ただ一人違うギムナジウムへ通うアレックスはご近所さんです。
幼稚園、小学校はもちろん全員ずっと一緒で、サッカ-クラブも
2年前まで8年間ずっと一緒でした。
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最高に幸せな幼少期を共に過ごした仲間で、今もその関係はかわりません。
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あんな小さかった少年たちがこんなに大きくなってしまい
私も時々感慨深い気分になります。

子供が成長するのは早いですネ。
子育てってだから楽しいです。
よその子の成長まで一緒に体験させてもらえる気分です。

クラブ主催のサッカ-大会

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今週土曜日と日曜日は、うちの息子たちが所属しているクラブの
サッカ-大会で、親たち総動員で手伝いに駆り出されていました。
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私が今回手伝ったのは、ワッフル売店、飲み物売店(もちろんドイツの生ビ-ル含む)、
食器洗い機係りで、2日間の総合計手伝い時間は約7時間で、疲れましたが
子供が3人お世話になっているので、そのくらいの時間数は仕方ないです。
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それに今回は三男の試合に、ちょうどうちの長男が審判として係りにつき
三男は友達に自分の一番上のお兄ちゃん、と自慢できたしたらしいので
それは良かったです。

三男チ-ムは5試合すべて全敗という、かなりお粗末な結果に終わり
私が予想している通り、三男自体にもあまりサッカ-のセンスはなさそうです。
でも今回、もともと走る続けるのはあまり好きではなく、ボ-ルにもほとんど向かっていかない
三男には珍しく、長男が審判の試合だけは、なんだか珍しく張り切って頑張っていました。

いつも長男、あるいは次男が一緒にサッカ-場にいたら頑張ることができるのかも
しれませんね。…そんなことは無理ですが…。



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そんな忙しい週末でしたが、土曜日の夜はサッカ-とはかけ離れた
少し楽しいこともありました。
ホテルレストランでの夕食会でした。
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前菜 鳥の胸肉ときのこ、ルッコラサラダのバルサミコソ-ス和え
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主菜 厚切りロ-ストビ-フと温野菜のラタトゥイユ風にポテトグラタン
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デザ-ト チョコレ-トム-ス、カスタードプリン、パナコッタの
3種デザ-ト盛り合わせ

ドイツのデザ-トはいつも大きくて生クリ-ムたっぷりで食べきれない
イメ-ジなんですが、今回のデザ-トは珍しくかわいくて素敵でした。
いつもこんな風だったらいいのにな、と思います。

でも今回は全部、本当においしかったです。


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