プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう16年生活しています。ドイツ人の夫と、3人息子、そして一人娘(?!)の猫マルゴと共に、ドイツの子供の生活、ドイツサッカ-をはじめ、テニスやブレイクダンス、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 

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アジアンパーティー

ところでもう1ヶ月くらい前のことになりますが、久しぶりに我が家でアジアンパーティーをしてました。
アジアンパーティーと言っても、ただ招待客がアジア人だけだった、ということなんですが、17年前にドイツに来たときは、ここにあまり日本人の知り合いもいなかったため、アジア人だけで集まってのパーティーというのを開催していたこともありますが、最近ではアジア人限定というのは久しぶりでした。

集まったお客さんは、日本にも住んでいたことがあり、日本語がペラペラのインドネシア人とフィリピン人の友人、長年の中国人のママ友2人、日本語1級検定に合格した一度も日本へ行ったことがないのに日本が大好きな中国人の学生君、そして中国に住んでいたことがあり、中国語堪能の日本人の友人、でした。

それほど多い人数でもなかったうえ、一人は先に帰り、2人は遅く来て、というように、人数的には常に話しやすい人数でした。
その際、介護福祉士の中国人の友人が、女医さんの中国人の友人にこんなことを聞いたんです。

「実は最近本で読んだんだけれど、生粋の漢民族の血筋の人は足の小指の爪が2つに割れているようにみえる爪の形をしているそうんあんだけれど、あなたはどう?」と。

聞いた介護福祉士のCさんは、自分はそういう爪の形でびっくりした、と思っていたそうで、聞かれた女医さんのAさんも
「あら、そうなの、私もそういえばそういう爪だわ」と言ったのでみんなで
「へぇー、面白い!」とびっくりしていました。

もう一人の、日本語ペラペラ学生君は、爪に気をつけたことがないからわからないと言っていたので、彼の爪はどうか知らないのですが、今度違う中国人に会ったら是非聞いてみようと思いました。

色々な国の人に会えるうちの小さな町、私は結構気に入っています。
今まで知らなかった色々な国の小さな雑学が増えていき、単純に楽しいです

フランス人のおばさまのお茶会

おとといの夕方はフランス人のおば様の誕生日お茶会でした。
この方も縁あって15年くらい前から知っているんですが、長い間連絡も取り合っていない時期もあり、今回はじめて誕生日会によんでいただくことになったので、小さなバラのブ-ケを持って訪ねていきました。

インテリのフランス人(彼女はなんと憧れのソルボンヌ大学ご出身! ソルボンヌでドイツ語を専攻されていたそうです)の彼女ではあっても、さすがフランス人! ということでドイツではあまりお目にかかれない、フワッ-とした柔らかいケーキ(ひとつはチョコム-ス、ひとつはイチゴム-ス)のケ-キがあり、もう一つドイツ人のお友達差し入れの中にリンゴを入れて焼いた、なんとなくドイツ風のケーキとシャンペンとお茶にはなんと煎茶を用意していてくださいました。

「なんでまた煎茶なんでしょう?」とお聞きすると
「私はヨガ(長年ヨガの先生でもあられます。以前ダライ・ラマさんんの本を私に下さった方です。)しているから、東洋のものが好きで、お茶はいつも煎茶なの」とのお返事。
私は夕方煎茶を飲むと夜すぐに眠れないという癖があるんですが、この日は日本人の私がここで煎茶を飲まないなんて、と妙な使命感を感じて、いただきました。おいしかったです。
煎茶はケーキとも相性ばっちりですね。

それで他の6人くらいのお客様は全員ドイツ人のおばさま方だったんですが、その中のお一人の息子さんが最近日本へ3か月ほど行ってらしたそうで、なんと新種の貝を3つも発見して、今ベルリンの博物館に鑑定の依頼をしているとのことでした。
その息子さんはもう40歳くらいですが、幼稚園時代から貝が好きで、貝のコレクターなんだそうで、彼の部屋にはきちんと種類ごとに選別された貝が1000個以上はあって、貝の研究者並みに貝には詳しいそうなんです。

この認定が承認されて「ドイツ人、日本で新種の貝発見!」と発表されるようなことがあれば、またここで皆さんに紹介させていただきますね。

この席ではもちろん今ドイツでは話題のサッカーヨーロッパ杯の話題にもなり(いかんせん木曜日は準決勝でドイツ対フランス)、ドイツ人のおば様が
「それにしてもフランスはアフリカ系の選手ばかりよね、移民差別はしているけれどサッカーで彼らが役に立ってくれるのはフランス人にはいいわけね」と言っていました。
フランス人のおそのおば様は、フランスのそんなところが大嫌いで「そんなフランスは私の国じゃない、私はドイツが好き」と言っていた方なんで、深くうなづいておられましたが。。。

(ところでこのフランス人の方は以前私が「パリ テロ事件 その1」で登場させていただいた敬愛するおば様です。

http://chipi616.blog.fc2.com/tb.php/373-533db205    こちらがその記事です。)


さてヨーロッパ杯でフィーバー中(サッカーの試合がある間はいつでもフィ-バ-中ですが)のドイツではダンキンドーナツ屋さんでP1180797.jpg
こんなおいしそうなドーナツを期間限定で買うことができます。
上の段の真ん中はフランスでその横がドイツですね。
下の段の両脇はドイツ優勝祈願なのか、ドイツが優勝すると見込んでなのかは不明ですが、こちらは中にカスタードクリームまで入っていて、見るだけではなくて食べても幸せな気分にさせてくれます
カロリーは説明するまでもなくめちゃ高いですが!

こうやってどんどん肥えていくドイツ在住歴16年の私なんです。。。

ポーランド人のママ友

中国人の彼女の話がでたついでに、もう一人の大事な友人のことも書きたくなりました。
私がドイツへ来た際、お互い小さな息子がいたため、2年間は毎日一緒に過ごすという濃密な時間を共用した時からのママ友ですが、あれから10年以上たった今も親交は続き、かなり親しい友人の一人です。

彼女はご主人がドイツ人で会社の経営者なんですが、彼女自身もその会社で経理の仕事をしていてご主人にとっては有志のような存在です。
だからこの彼女の美しい家も(こちらもかなり豪邸なんですが)、決してご主人だけの力で手に入ったというわけではないんです。

40年近く前、彼女もまたポーランドからドイツへ移民した際には、自分の身なりや持ち物がいやに古臭くて悲しかった、と聞いたことがあります。彼女自身は金髪で細身で大変美しい人なんで、正直何を着ていても彼女が持つものは、いつだって全て素敵に見えるのですけれどね。

優秀だった彼女もまたドイツへ来て数年で、ドイツの大学へ入り、ある日ドイツ人の学生にひどいことを言われます。
「お前の学費は誰が出しているんだ、ドイツ人の税金からだろう。外国人は国へ帰れ」と。
それを言われた時は悲しくて、家から一歩も出られず3日間泣き暮らしたそうです。

その後はアメリカへ行ったり、でも結局ドイツに戻り、現在のドイツ人のご主人と結婚するわけです。

2週間前久しぶりに彼女と会った際
「でも私はドイツ人好きよ」というとこう言われました。
「それはどこの国から来たかという理由が大きいわ。あなたは日本から、私はポーランドから、そこでもうぜんぜん違うのよ」とのことでした。

長い歴史の間、いつもポーランドを虐げてきたドイツなんですが、自分たちが虐げてきたというのに、今でもポーランドを差別している気持ちが端々に出ているのを、ポーランド人の彼女はこの40年近くいつも感じて生きてきて、もう正直うんざり、と言っていました。
「イタリアやイギリスではこんな思いをしなくていいのに、ドイツでだけはいつも嫌な思いをさせられて来たわ」ということで、彼女はそのせいかこの数年はいつもイタリアやイギリスへ語学の勉強と遊びをかねて行っています。彼女もまたゴージャスな生活を送っている一人です。

長い間、彼女と共にいたんですが、そこまでドイツを嫌う理由があることを今回はじめて本当に理解できたんです。

実は彼女の幼い頃の夢は日本へ行くことでした。
この夏、イギリスで勉強中のやはり日本ファンの息子さんが日本へ行きます。
そしてその息子さんの彼女はなんとイタリア人と日本人のハーフのお嬢さんなんだそうで、彼が赤ちゃん時代には彼が日本関係者と縁ができるなんて思いもしませんでした。
そして彼女がもっとも愛するイタリアという国の血を持ったガ-ルフレンドを作った息子さんはお母さんをとても愛しているのかもしれないですね。

彼女も素敵なママ友の一人で、努力で幸せを手に入れた彼女の生き方をやはり尊敬します。

彼女の調度品の数々がいつでも素敵なのは、イタリア・イギリスで色々見て買ってくるからで、センスの良い彼女の厳選のもので飾られた部屋はいつ見ても最高にクールです。

中国人のママ友  その2

彼女のパーティーで圧巻だったのは実は豪邸だけではありません。
彼女がみなに発表した、彼女の人生の紹介でした。

最初は「親愛なる友達の皆さん」と、そのパーティーに来た友人たちとの思い出を、その友人たちと過ごした昔の写真を紹介して、それはそれでほのぼのと美しかったんですが、最後に彼女は自分のお祖母さん2人からお母さん、そして彼女の子供時代の紹介を始めたんです。

お祖母さん2人が纏足をしていたこと、一人のお祖母さんはそのために最後まできちんと歩くことができなかったこと、そしてもう一人のお祖母さんは纏足がいやで、彼女が20歳の時に自分で纏足を取り払い、家を出てしまったこと。

そしてそのお祖母さんは結局ある日を境に行方不明になってしまい、彼女のお母さんはその19歳の時から、そのお祖母さんとは
2度と会うこともなく、でもいつまでも自分のお母さんを探していたこと。
また大学で優秀だったお母さんはそれまで皆の見本ともてはやされた生活が一変して、チャンスのない生活へ落とされることになり、労働ばかりさせられてしまったこと。
彼女が生まれた家は石のブロックが並んでいるようなもので、穴のような中に部屋はひとつ、その中にはまともな家具もなく、赤ちゃんだった私の友人の彼女は5歳くらいまでいつもお腹がすいていたことなどを、わずかに残った写真つきで皆に紹介してくれました。

写真は本当にその石の穴のような家の前で撮ったものがひとつ、それからは彼女の大学まで間の写真は1枚もなかったそうです。

私は彼女のこと本当に何も知らなかったんだと、この一連の話を聞いて心からびっくりしました。
そしてそんな背景をかかえた彼女が、医学部で勉強して頑張って、奨学金でドイツへ来て、今の主人と結婚して、ドイツでジ女医さんとして働き、自分の力でこの幸せを勝ち取ったことを心から賞賛します。

彼女と私が誕生した日は数日差で、息子同士もこれまた数日違いで誕生しています。
主人同士は年が違いますが、同じ理系の学者で出身大学が同じなうえ、2人は誕生年は違いますが、こちらも誕生日はとても近いです。
そして彼女のお母さんは家族の制度に反対したため迫害され、私の母方の祖母は日本で共産党に入り県警に追われ(彼女のお祖母さんも私の祖母も、当時では非常にインテリで志の高い、少なくとも私とは全然違う芯のある強い女性達でした)、また彼女のお母さんは東京に住んだことがあり、私の母も当時植民地にしていた満州に住んだことがあり、彼女の祖母と私の祖母は台湾に住んだことがあるという、なんとも奇妙な符合がたくさんあるんです。
ただ満州のうちの母は開拓団としてではなく恵まれた商家のお嬢様として、本来であれば平民では入れない皇帝溥儀の姫君も通っていた名家の子女のための錦ヶ丘女学校へ通い、私の祖母も当時日本が統治していた際に高等弁務官だという地位の祖父の親戚のもとで、彼女は私の祖父と新婚生活を送っていたということなので、彼女のお祖母さんとお母さんが中国人として台湾と東京で暮らしたのとはまた違う生活だったのではないかとは思われます。。。

そしてそんなことからも考えあわせると、日本人として東京で生まれ不自由のない生活を送った私と、中国人として中国の田舎(しかもなにもなかった)で育った彼女と比べると、私の人生はなんて意味のないものだろうと思えてしまいます。
彼女とこれほどたくさんの共通点がありながらも、努力で何も成し遂げることのできなかった私は、全く彼女のとは違う人生を送っているわけで、彼女を見ると「人はどんな境遇で生まれても、頑張れば自分の力で運命を切り開けるものなんだ」と確認させられます。

正直彼女の人生に感動させられました。そして友人として誇りに思います。

そして私との昔の写真をひっぱりだして、思い出を語ってくれた彼女の優しさにも、とても心がふるえました。

色々な意味で大変勉強になった、そして素晴らしい夜でした。

中国人のママ友

昨日は中国人のドイツへ来て以来の友人の50歳の誕生パ-ティ-でした。
長男がそこの一人息子君と同じ年で、幼い頃には結構よく遊び、小学校もギムナジウムも一緒でサッカーチームも一緒だった時代もあるかなり親しくしていたママ友の一人です。
半年くらい前に新しく家を購入したとは聞いていたんですが、昨日初めてその新居へ行き、あまりの豪邸ぶりにびっくりしました!
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まずはこの美しいリビングルームですが、今回の30人というお客さんが充分全員座れてくつろげる、まるでレストラン並みの大広間。
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地下にはこんな素敵なバーもありましたし(でもドイツの家には結構こんなパーティー部屋はあったりするんですが)
2階から見た景色も緑の囲まれ美しく
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地下から1階へ行く階段ひとつとってもとにかく素敵で、サウナはもちろんトイレもシャワールームも3箇所以上はあるようでした。

ご主人は少々年配の専門大学の教授で、彼女は女医さん(ここドイツで)なんですが、ここまで豪邸を購入するとは思ってもいませんでした。
というのも一人息子さんがもうすぐ大学生になるので、家を出ることになり、この豪邸で夫婦2人での生活が始まるし、少しご主人が年配の方なんで、次回家を買い換える際は2階のない平屋をと以前言っていたからなんです。
私は他の友人もみんな割合大きくて美しい家に住んでいますが、この家ほどゴージャスな家は正直あまり見たことがなくて、土地が安いドイツでも珍しいほどの豪邸なのでは、と思われます。
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最後は宴も終わりごろに顔を出した長男と彼女の息子さんと4人で記念写真を撮りました。
うちの長男と一人息子君はなんと同じ大学(ちなみに共に父親の出身大学ですが)へ行くことになったので、またこれから新たに違う世界が始まりますが、今度は大学で二人は時々会うことになるのでしょうね。
アビィの成績がが2,1だったうちの息子は化学へ、ここでもなんと同じく2,1だった彼は機械工学科へと進む予定です。

美しい豪邸で、本当に楽しい夢の一夜を過ごさせてもらいました。

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