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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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地図で見るヨーロッパの実情 その3

ヨーロッパおもしろ地図の第3弾は、その国々代表の食べ物地図です。

Foodmap.jpg
ドイツ ―ソーセージ
イギリス ―フィッシュ&チップス(これしかないくらい有名な感じ?)
アイルランド ―アイランド風シチュー
フランス ―フォァグラとクレープ
ベルギー ―ワッフル
オランダ ―ハリング(生のニシン)
ルクセンブルグ ―干した豚の首の肉とそら豆
スペイン ―パエリアとタパス
ポルトガル ―バカリャウ(タラ(鱈)の 塩漬けの干物を使った料理)
イタリア ―ピザとパスタ
スイス ―フォンデュ
オーストリア ―カツレル(仔牛のカツ)
デンマーク ―オ-プンサンドイッチ(スモーブロー)
ノルウェー ―しゃけ
スウェーデン -肉団子(ケットブラ-)
フィンランド ―ブルーベリーパイ
ポーランド ―様々な具を詰めたダンプリング(ピエロギ)
チェコ ―料理に甘口のクリームソースがかかっているもの
スロバキア ―ダンプリング、ヌードルとニョッキ
ハンガリー ―牛肉、ラードとタマネギ、パプリカなどから作られたスープ(グラシュ)
ル―マニア ―野菜ス-プ
ブルガリア ―平たいパン(チーズと共にヨーグルトなどつけて食べる)
ギリシャ ―ナスのスライス、ジャガイモとラムの挽肉に、ベシャメルソースを順に重ねてオーブンで焼いたグラタンに似た料理
トルコ ―ケバブとバクラヴァ(甘いお菓子)
ウクライナ ―ボルシチ
ベルラ-シ ―いものパンケ-キ
ロシア ―小麦粉と卵をぬるま湯で練って作った薄い生地に、細かくひいた肉や野菜を包み茹でたもの。

慣れない外国語が多く、調べるのに往生しました。
似ているようで、でもなんとなくそれぞれ違う、欧州の食事事情でした。

とりあえず、そもそも圧倒的に種類が少ない感じですね、私達日本人から見るとどうしても…

地図で見るヨーロッパの実情 その2

次は国別に、
どの国の出身者が多いかを表した地図です。

immigrantsorigin.jpg
ドイツ ―ポーランド人
イギリス ―インド人
アイルランド ―イギリス人
フランス ―アルジェリア人
ベルギー イタリア人
オランダ ―トルコ人
ルクセンブルグ ―ポルトガル人
スペイン ―モロッコ人
ポルトガル ―アンゴラ人
イタリア ―ルーマニア人
スイス ―ドイツ人
オーストリア ―ドイツ人
デンマーク ―ドイツ人
ノルウェー ―ポーランド人
スウェーデン -フィンランド人
フィンランド ―エストニア人
ポーランド ―ウクライナ人
チェコ ―ウクライナ人
スロバキア ―チェコ人
ハンガリー ―ルーマニア人
ル―マニア ―モルドバ人
ブルガリア ―ロシア人
ギリシャ ―アルバニア人
その他のロシア周辺諸国 ―ロシア人
当のロシア ―ウクライナ人

…ということで、どの国から来た人が多いか、ということでした。
United Nations(国連)の2015年の統計ということなんで、どうやらこの地図は冗談ではなく本当のようで、これもかなり興味深い地図であると言えるでしょう。

ですがもちろんあくまでもどの国生まれの外国人が多いのか、という意味で、どの国でも一番多いのはその国オリジナルの人達であるということは、もちろんなので、外国人ばかりになってしまったという話ではないです、どうか誤解されませんように…。

奥が深いヨーロッパ事情です…興味深いですね。


地図で見るヨーロッパの実情 その1

面白い地図を見つけました!
fteurope.jpg
ドイツ ―結構お金持ち
イギリス ―EU脱会
フランス ―攻撃にさらされてる状態
ベルギー ―田舎
オランダ ―オレンジ
スペイン ―とっても貧乏
イタリア ―陰気
ポ-ランド ―かなりクリスチャン
オ-ストリア ―NATO未加入
チェコ ―無神論者
ハンガリー ―EU参加
ウクライナ ―とっても貧乏
ル―マニア ―国の略称゛ROU゛以外は明記すること特になし
ブルガリア ―とっても貧乏
ギリシャ ―すっからかん

…とざっとこんな感じです。
他の小さい文字が見えなくて残念なんですが、「なるほど~」と思わされますねぇ、所々くすっと笑ってしまいました。


欧州での信じられない体験!

それでこの日本の素晴らしい体験を是非読んでもらおうと、日本の友人何人かにこのサイトを送ったらこんな返事が来ました。


K子さんの話:

K子さんはドイツに住んでいたんですが、そのドイツの市民学校のトイレでお財布や携帯、滞在許可証など貴重品全てが入っていたバックを勉強していたドイツ語の授業の休憩時間にうっかり置き忘れてきたのだそうです。
そうしたら、K子さんのドイツ語の先生がたまたまそのバックを見つけて彼女に届けてくれたそうです。


J子さんの話:

ご主人がアムステルダムのスキポ-ル空港でスペインへの乗り継ぎの際、ゲ-トエリアのレストランでPCを忘れてしまい、後日スキポ-ル空港のLos&Foundにメールで問い合わせたところ、無事見つかって代引きで日本の自宅まで郵送してくれたそうです。


Yさんの話:

知り合いがパリのシャルル・ド・ゴール空港のゲート内のお店で携帯を忘れてしまい、後日その空港会社に問い合わせ、
「実は、このお店で忘れたんですが」と確認をお願いしたところ、携帯が航空会社を通して、無事に戻ってきたそうです。


…実は私はこれには本当にびっくりしました!

ヨーロッパで失くし物が返ってくるなんて、あり得ないと思っていたので、こんな幸運があるものなんだな、しかも知り合いにも結構いるだなんて、とびっくり仰天! という状態でした。


ただ、

K子さんの場合、見つけたのはドイツ人の先生でしたよね。
ドイツの問題は移民の方が多いので、スリや置き引きなどの犯罪は外国人の窃盗団の仕業と言われています。

J子さんのご主人の場合は、誰でも入ることができる空港ではなく、空港の入国チェック済みのゲート内で起こった話でした。
オランダも、特にアムステルダムは有数の軽犯罪都市ですから、これがゲートの外で起こった事だったら、PCが戻ってきた可能性は極めて低かったことでしょう。

Yさんの知り合いの場合、こちらも飛行機会社にとってビジネスクラスのお客さんでしたから、飛行機会社も多少は熱心に探してくれたという可能性もありますよね。
どのお店で忘れたとハッキリ言えたことも幸いしたんでしょう。

いずれにしても、この三人の方々が非常にラッキーであったということは間違いないと思います。

20年もドイツに住んでいて、ドイツ・オランダ・その上フランスでも、こんな幸運なこともあるとは本当に初めて知った、友人達からの有難いメッセージでした。


フィリップ殿下オイペン訪問-ヴェルサイユ条約から100年後

ベルギーの話はそろそろ終わりにして、ドイツの話題に戻りたかったんですが、今朝車を運転していたらこんなニュースがラジオから流れてきました。
なんと今日、ベルギ-国王のフィリップ殿下がオイペンを訪問するというではないですか。
オイペンとはEupenのことで、先日のブログでも出てきた、ブリュッセル方面へ行く際の始発の町です。

首都ブリュッセルから電車でも車でも2時間ほどで着くとはいえ、オイペンは正直ど田舎の町です。
町は103,74 km²の広さで、牧歌的な景色がのどかに見られるこの町の人口はわずか2万人、いつ行ってものどかな風景が広がるこのこじんまりした辺境の地(ベルギー内では極東)に国王陛下が来られるとは、と一瞬耳を疑ったのですが、どうも今日はベルギーにとっては記念すべき大切な日だったようです。
eupen 5
約100年前の1918年11月に第一次世界大戦が終わり、1919年の1月にパリ講和会議が始まり、敗戦国ドイツの領土の割譲が決まります。そして1月18日ドイツ領だったオイペンはベルギー領に決まったのです。
最初は心の中で心配していたオイペンの当時のドイツ人も、今ではベルギー領で大変満足だ、という住民のコメントも流れていました。住民投票で決まったとはいえ、当時は本心からの住民の希望ではなかったようです。
でも今ではドイツ語を話していること以外、どう見てもオイペンはベルギー風な町になっています。

そもそも12世紀には、オイペンはリンブルグ公国に支配されていました。
そして
1387年 ブルゴーニュ家
1477年 ハプスブルグ家
1555年 スペイン領
1707年から1714年 オランダ支配
1794年 フランスに併合される
1815年 プロイセン家のライン県の一部に
1919年 ベルギー領

と、このように色々な国から支配を受けてきているように見えますが、地形的には昔から栄えていた、マーストリヒト(オランダ)、リエージュ(ベルギー)、アーヘン(ドイツ)から非常に近い場所です。
そもそもこの地域がブルゴーニュ家に支配された時点で、同じ家系の次の世代のハプスブルグ家、そしてそのままスペイン・ハブスブルグ家と移行していったのは、その家の支配者がかわったというだけで、オイペンにとってはあまり大きな変化ではなかったはずです。
むしろこの地が、フランスやドイツに支配されていたことの方がよほど違和感がありますので、最終的にベルギーに戻ることができたのは、歴史的にはやっぱり正しかったのだろうと思います。
eupen 6
私は今日昼過ぎにドイツの最西の町、つまりこのオイペンの隣村リヒテンブッシュまで行っていました。
アーヘンの1つの村なんですが、すぐ隣の町にフィリップ殿下がいらしているのなら、行ってみたかったんですが、夕方に来られるということで泣く泣く家に戻りました。

私も一緒に旗を振ってきたかったです。



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