プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。ドイツ人の夫と、3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手やブレイクダンス、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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フィリップ殿下オイペン訪問-ヴェルサイユ条約から100年後

ベルギーの話はそろそろ終わりにして、ドイツの話題に戻りたかったんですが、今朝車を運転していたらこんなニュースがラジオから流れてきました。
なんと今日、ベルギ-国王のフィリップ殿下がオイペンを訪問するというではないですか。
オイペンとはEupenのことで、先日のブログでも出てきた、ブリュッセル方面へ行く際の始発の町です。

首都ブリュッセルから電車でも車でも2時間ほどで着くとはいえ、オイペンは正直ど田舎の町です。
町は103,74 km²の広さで、牧歌的な景色がのどかに見られるこの町の人口はわずか2万人、いつ行ってものどかな風景が広がるこのこじんまりした辺境の地(ベルギー内では極東)に国王陛下が来られるとは、と一瞬耳を疑ったのですが、どうも今日はベルギーにとっては記念すべき大切な日だったようです。
eupen 5
約100年前の1918年11月に第一次世界大戦が終わり、1919年の1月にパリ講和会議が始まり、敗戦国ドイツの領土の割譲が決まります。そして1月18日ドイツ領だったオイペンはベルギー領に決まったのです。
最初は心の中で心配していたオイペンの当時のドイツ人も、今ではベルギー領で大変満足だ、という住民のコメントも流れていました。住民投票で決まったとはいえ、当時は本心からの住民の希望ではなかったようです。
でも今ではドイツ語を話していること以外、どう見てもオイペンはベルギー風な町になっています。

そもそも12世紀には、オイペンはリンブルグ公国に支配されていました。
そして
1387年 ブルゴーニュ家
1477年 ハプスブルグ家
1555年 スペイン領
1707年から1714年 オランダ支配
1794年 フランスに併合される
1815年 プロイセン家のライン県の一部に
1919年 ベルギー領

と、このように色々な国から支配を受けてきているように見えますが、地形的には昔から栄えていた、マーストリヒト(オランダ)、リエージュ(ベルギー)、アーヘン(ドイツ)から非常に近い場所です。
そもそもこの地域がブルゴーニュ家に支配された時点で、同じ家系の次の世代のハプスブルグ家、そしてそのままスペイン・ハブスブルグ家と移行していったのは、その家の支配者がかわったというだけで、オイペンにとってはあまり大きな変化ではなかったはずです。
むしろこの地が、フランスやドイツに支配されていたことの方がよほど違和感がありますので、最終的にベルギーに戻ることができたのは、歴史的にはやっぱり正しかったのだろうと思います。
eupen 6
私は今日昼過ぎにドイツの最西の町、つまりこのオイペンの隣村リヒテンブッシュまで行っていました。
アーヘンの1つの村なんですが、すぐ隣の町にフィリップ殿下がいらしているのなら、行ってみたかったんですが、夕方に来られるということで泣く泣く家に戻りました。

私も一緒に旗を振ってきたかったです。



シナゴ-グ(ユダヤ教の礼拝堂)訪問 その2

ラビのお話のあと、ついに待ったユダヤ教の「コウシャ」ランチの時間になりました。
P1060133.jpg
その日の見学会に参加した総勢50人ですが、シナコ-グ内の食堂にお食事は用意されていました。
ここでは結婚式や何かの会で、ユダヤ教の方達が一同に会い、会食をする場所なのだそうです。
1週間くらい前に、メニュ-を決めて、みんな既に注文済みでした。
P1060136.jpg
私は鶏肉の腿肉のユダヤ風、というお料理を注文していました。

ユダヤ教では、乳製品とお肉と言う組み合わせは絶対に駄目なので、フランス料理風に、クリ-ムソ-スというのは決してあり得ない組み合わせだそうで、なので今回もブラウンソ-スでした。
特にいつも食べている欧米風料理と何も変わりはないのですが、もちろんこちらは「コウシャ」料理で、全て「ハラル」という作り方をしたものです。
詳しい作り方はその素材によって違うのでしょうけれど、そもそも基本的に作り方が違うのか、製造過程がちょっと違うのか、などはあまりよくわかりませんでした。

私はお料理と一緒に赤ワインをいただきましたが、ワインに関して言えば、最初の3年間は葡萄は全部破棄した後、4年目の葡萄をワインにするような方法でワインは製造しているそうですが、特に美味しいということもなく、ワインの国フランスではない、ドイツでさえもこのくらいの値段でもう少し美味しいワインはあるわね、という感じでした。

P1060137.jpg
デザ-トは「クレ-プのオレンジソ-ス」で、こちらも鶏肉料理同様、普通に美味しかったです。

今回私が心に一番残ったものは、にんじんのグラッセだったんですが、お砂糖にシナモン風味をつけていたようで、これは大変おいしくて我が家でも真似してみようと思いました。
でもこれは特に「コウシャ」料理だから、というわけではないと思われます。

それでユダヤ教には関係のない総勢50人で会食を楽しみ、その日のシナゴ-グ見学会は無事終了と相成りました。
会食だけでも2時間以上かかり、ゆっくりとした穏やかな時間を過ごしました。

いつかはイスラム教のモスクへも行ってみたいです!

なんといっても移民大国、その中でもトルコ人の多さでは負けないドイツなんで、シナゴ-グを探すより、モスクを探した方がある程度の大きさの街であれば、必ず見つけることができるくらいです。

ですが、モスクだと必ず頭に布をかぶっていかなければならないし、女性は色々な決まりがあるでしょうから、大変そうです。

ちなみに、カトリック教会では男性は必ず帽子を脱いで入らなければならず、ユダヤ教のシナゴ-グの場合は男性は必ず帽子をかぶって入らなければならず、聖ペテロを一段高く見ているカトリックと、神の友達である自分たちと考えるユダヤ教の違いのようですが、礼儀をあらわるという意味ではどちらも同じですね。

色々な宗教、面白いです。

シナゴ-グ(ユダヤ教の礼拝堂)訪問 その1

日曜日に近郊の大きな都市で、シナゴ-グ見学会という催しに参加しました。
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数年前に近郊の近くのシナゴ-グを見学してからずっと一度大きな街のシナゴ-グも見てみたいと思っていたので、とても楽しみにしていました。
P1060129.jpg
中の礼拝堂にて、まずは2時間ほどユダヤ人のラビ(指導者)のユダヤ教に関する色々な説明がありました。
本来は男性は1階、女性は2階というように離れて座るのですが、今回は全員1階の礼拝堂に入れてもらい、お話を聞かせていただきました。
P1060128.jpg
↑ こちらは2階の女性用の席です。
P1060124.jpg
私がとっても面白いなあ、と思ったのはこちらの本でした。
ドイツ語とヘブライ語で書かれています。ちなみにヘブライ語は欧米語と反対で、一番上、右から左へ読んでいくので、開ける最初のペ-ジもドイツ語の本と反対側からはじまります。
ドイツでもカトリックは長年ミサはラテン語で執り行われていました。
例えば、うちの町のまだ80歳前の神父様ですが、その方達の子供時代でもミサはラテン語だったとおっしゃっていました。
ユダヤ教はラテン語ではなく、ヘブライ語なんですが、今回説明して下さったラビも、自分の両親はヘブライ語を話したが、最近の60歳以下の人達はヘブライ語がわからないから、ドイツ語と両方を載せているのだそうで
P1060125.jpg
『タナハ』ですが中は左がドイツ語、右がヘブライ語です。

ところでユダヤ教の方は小さな帽子をかぶっていますが、何故だかご存知ですか?
あれは神様友達の意味だそうです。
カトリックの法皇様も被られていますが、法皇様の場合は聖ペテロの象徴、ペテロは神の子イエズス様の友達であるという証が、あの帽子で、だからカトリックの法皇様もあの小さな帽子を頭に乗せておられます。もちろんイエズス様もペテロももともとはみんなユダヤ人だったわけですから、ユダヤ教から来た意味もたくさんあるわけですね。

ユダヤ教徒は実は一日に3回礼拝堂に来なければならない、とか、金曜日は車に乗ってはいけない上、1kmしか徒歩でも歩いてはいけないとか、ハラルの食べ物しか食べていけない、生魚は絶対駄目、とか色々な規則があるわけなんですが、
「何故?」と聞けば
「『タナハ(経典)』にそう書いてあるから」という答えしかもらえませんでしたが、これにはその答えをするラビご自身も笑っていらっしゃいました。
イスラム教徒も『コーランにそう書いてあるから』と必ず言いますし、とにかく経典に書いてあることが『絶対』なわけなんです。
もちろん、キリスト教徒も聖書の訓えをそのまま忠実に守っていた時代もありますし、今でもそういう方達もいるわけですから、宗教とはそういうもの、と理解するしかないようです。

でも全ての訓えを全て忠実に守っているわけでもない、とラビはおっしゃっていました。
例えば1日3回礼拝堂にとか、金曜日は車に乗らないとかは無理なようです。

この2時間の講義のあと、実際の「コウシャ」のお食事会でしたが、長くなりましたので、そのお料理については次回、ご紹介させていただきますね。

P1060139.jpg
こちらは第二次世界大戦前の破壊される前のシナゴ-グの絵です。
本当に美しいですね。

新年あけましてあめでとうございます!

ドイツでは年末最後の大晦日は打ち上げ花火でしめくくります。

花火は個人的にも打ち上げるため、花火事故も多発していて、今年も2名亡くなったそうですが、家族や仲間と、花火とシャンペンとダンスで締めくくる1年の計、兎にも角にも明るい希望に満ちた(と信じたい)2018年の新年の幕開けでした。

イタリアって…

それでそのイタリア人の女医さんは、もともとはなんとナポリの出身だそうで、イタリアの犯罪の多さに着いて説明してくれました。
私も若かりし頃、一度日本からのツア-で行ったときには、
「この街は美しいけれど危険です。外は歩かずにバスの車窓からだけの見学とさせていただきます。」と添乗員さんに言われて、窓にへばりついて景色を眺めた記憶があります。
道行く人々はなんとなく、浅黒く、精悍な様子だったのは覚えています。
本当に本当に美しい街でしたけれど。。

中でも彼女のイタリアのマフィアについての話は興味深かったです。
イタリアには4大マフィアというのが存在するらしく、カモッラ、コーサ・ノストラ、サクラ・コローナ・ウニータ、ンドランゲタの名前を何度も教えてくれました。イタリア語で発音するこの名前は彼女が言ったせいもあり、おどろおどろしい、というよりは、なんだか可愛らしく聞こえてしまったのですが、実際は卑劣な犯罪集団で、例えばお店を開店する際には必ず、みかじめ料を払わされるのがイタリアと言っていました。

私も実は4月に日本へ一時帰国した際に、今回激安だったアリタリアに乗って往復しました。
安いため、行きは1泊ローマ、帰りは1泊ミラノということで、少し心配になり色々調べてみたら、2013年か何かにローマ・ミラノ・ナポリの空港職員が80人くらい一斉にお縄になったという事件が出てきました。
アリタリアの空港職員達がお客さんが預けたトランクを開けて、中からものを盗んだということなんですが、一般人でさえ、もはや犯罪集団のようなイタリアなのかしら、とその時は思ってしまいました。

30年前、母が成田空港で10万円が入った財布と、貴金属を入れたバックをそのまま落としてしまい、空港内の交番に聞きに行ったら2件目でバックがそのまま全て入った状態で出てきて、当時はまあ、そんなものかな、と思っていましたが、実は海外では落としたりなくしたりしたものはほぼ100%戻ってこないと考えたほうが普通でしょう。
世界でも類のない道徳大国日本なんですが、一方イタリアは随分前からこのように治安の悪い国のようです。
カトリック総本山のローマのお膝元だというのに、そう考えると本当に少し笑ってしまいますが…。

ということで海外旅行をされる際は、どうか皆さん日本とは違う常識と心して、貴重品にはくれぐれも気をつけましょう。
イタリアの空港は今はもう大丈夫のようですけれどね。
今回私も特に問題なく、2泊イタリアを通過しましたよ。


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