プロフィ-ル

マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう16年生活しています。ドイツ人の夫と、3人息子、そして一人娘(?!)の猫マルゴと共に、ドイツの子供の生活、ドイツサッカ-をはじめ、テニスやブレイクダンス、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 

灯篭が静かに流れていくブログパーツ
ランンキングに参加中です。
ぽちっと!クリック嬉しいです。 ブログランキング・にほんブログ村へ
日本ブログ村ランキング
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索

自然

私は自然が大好きなので、畑に囲まれているようなうちの村が大好きです。
…でも実は私は自然がとっても怖いんです。。。

例えば富士山。
遠くから眺める富士山はきれいですが、学生時代合宿していた山中湖の民宿から見える富士山は、窓いっぱいに広がってそびえ立ち、窓からそのままこちら側に落ちてきそうで、窓やカーテンをあけて眺める気にもなれませんでした。

宇宙旅行なんて壮大すぎて、あんな自然を見たら、その場で恐ろしさのあまり倒れてしまうことでしょう。

だからうちの子供達と行くのはもっぱら人工的な場所、前回ご紹介させていただいた休暇村のようなところになってしまうわけです。

それに引き換え、親友のカティ一家が送ってきてくれる休暇中のハンガリ-やル-マニアの大自然の美しいこと。
彼女の一家は山歩きが大好きで、主人とお子さん(男の子2人)で休暇中はよく山登り、夏は海、冬はスキ-と、自然の場所で楽しむことに慣れていますが、どこかで自然が怖い私はつい、気分的に安心な、作り物の世界のほうを選ぶ傾向があり、こんな親に育ったうちの三人息子は将来果たして頼りがいのある、父親になれるのだろうかと、一抹の心配をおぼえます。
自然に親しんでいない私と主人のもとで育ったうちの息子達は、山登りもキャンプもあまり好きではない、なんとなく情けない男子になってしまい、将来の私の孫には悪いことをしたな、と思っています。。。
情けないです。

先週私は実は用事で、山の中を運転する羽目になり、たった100kmの道のりを2時間かけて山道を抜けたんですが、その程度の自然は大好きで、木立の美しさ、突然目前に広がる谷、緑の葉の美しさ、時々現れる集落のかわいらしい家に見とれながら運転していました。
170924 012
実はもとっともっと美しい景色があったんですが、写真を撮るために停車することができませんでした。
その2時間中、ほとんど他の車を見ることもなく、おとぎ話の世界に紛れ込んだようだわ、などと喜んでいましたが、こうやって楽しめるのも車があってこそ。これを徒歩か自転車で(時々競技自転車の練習中の人がいました)、と言われたら一家そろって゛無理゛な男が4人もいる、なんとなく情けない我が家なんです。
170924 013
でも緑の中にいると心身の疲れが癒されますよね。
時間がかかって大変な山中のドライブでしたが、一人で車中満喫でき楽しかったです。

プ-ルとサウナ

それでこの長い休みを利用して、久しぶりに三男を遊びに連れていくことにしました。
長男と次男は3歳違いで2人で遊べたのですが、三男のプ-ル遊びには18歳の長男も、15歳の次男も来てくれるはずもなく、そんなわけで三男の幼馴染の2人を連れて計3人の男の子達とプ-ルでした。
161127 027
正直、長男が小さい頃から、今まで多分15年近くこんなことをしているわけで、小さな子供達(しかもいつも男の子軍団ばかり変わり映えしない、女の子は全くいない私の周辺)と遊びに行かなければならない、その年月の長さに時々うんざりもしてくるのですが、三男が私と行きたいのも、あと数年でしょうから、潔く我慢して私の楽しみも見つけました。
161127 011
このプ-ルにはなんとサウナも併設されていて、追加料金(500円くらい)を1回払えば、サウナに好きなだけ何度でも入ることができます。
私が大好きなのはハープの香りただよう、ミストサウナなんですが、
161127 002
こんなミストシャワ-も素敵
一番のお気に入りはこの暖かい石でできた長椅子で、ここに横になるとあまりの気持ちよさにいつもぐっすり寝てしまいます。
161127 009
この椅子からの眺めはこんな感じでとても開放感もあり、疲れた日々から一気に回復できます。
161127 007
他にも普通のサウナや、塩サウナ、ジャクジ-バスなんかもあり、またもっとお金を払えば本格的サウナも併設されているんですが、ここの一番の良い点は、水着のまま入ることが許されていることなんです。

ドイツでは、サウナは通常は全裸で、その上、男女混浴です。
そんなわけで私はわざわざ行ったことはないのですが、高級ホテルなんかの上についているサウナもそうで、一度プールと間違って行ったら、真っ裸のおじさんに「ここは洋服は全て脱いで入るよう」と言われ、きれいな若いお姉さんが美しいヌ-ド姿でその横を歩いていったのには、度肝を抜かれたものです。

三男もその友人達もやっと10歳前後ということで、放っておける年齢になってきたのもヤレヤレです。
そしてあと5年後には誰も一緒に来てくれなくなり、その時には一人寂しく行かなければならないのかと思うと、やはり今のうちに子供との時間も一応は大事にしておかなければいけないですよね。

休暇のように、リラックスできた良い一日でした。

明治のお雛様

うちのお雛様は明治生まれの祖母のなんで、けっこう昔のものなので、何故かお内裏様とお雛様が2対あります。
160228 011
こちらが少しきついお顔の方。
160228 031
こちらが少し丸いほんわかしたお顔の方。
160228 025
冠はもうボロボロになってしまったので、18年位前雛人形専門店にて新しく作ってもらいました。
160229 018
昔の冠は今は官女にかぶらせてあげてます。
うちの官女は一人だけです。
160229 006
そのかわり、雅楽の舞を踊っている2人がいます。私は勝手に「胡蝶」と名づけています。
160228 022
5人囃子はきちんといます。
160229 007
かわったところでは「高砂」の「尉(じょう)と姥(うば)」がいます。
「相生の松」もきちんとあるところが芸がこんでいます。
160228 032
私も今回は「さげもん」風に鞠をかざりました。
もうすぐおひな祭りです。

でもやっぱり一番美しい日本のお人形

でもやっぱり一番きれいなのは日本の人形だと思う私は、きれいな日本人形を集めてみることにしました。

こちらは島根県松江市から手仕事による工芸品のひとつ、「藤娘」です。
日舞に中でもやはり「藤娘」はこの大きな藤がなんといっても美しいですよね。
お人形は「顔がいのち」と言われますが、なんて優しいお顔立ちでしょう。
dsc0169035.jpg
こちらも典型的日本人形でお着物、かんざし、日本髪といい美の結集という感じです。
ningo.jpg
こちらも「藤娘」のように「藤の花」をかんざしにしていますが、まるで生きているかのような瞳。
人形師・岡馬勲氏の作だそうで、着物やかんざしはそれぞれ専門の方に注文して作られたそうですが、このお人形にはなんだか最高のものを与えたいと思ってしまう気持ちわかります。
こんな娘がいたらどんなに楽しいでしょうね。。。こんなお人形なら高額でも買いたいですね、もし手が届くならですが。
43161598.jpg
それでこちらはなんとなく新しい形の日本人形ですが、これまたあまりの美しさに見とれます。

それで今日は私も思い立って数年ぶりにお雛様を飾ることにしました。
160228 033
祖母伝来の明治時代のお雛様なので、今のお雛様とはずいぶん違いますが、それでも私にはとても大切なお人形なんです。

木内昇さんの『寂しさの考察』 

「孤独」について書きます、と言ったのにはわけがあります。4年位前に偶然新聞で読んだ日本経済新聞のコラム欄に作家の木内昇さんが書いていらした「寂しさの考察」があまりに完璧で素晴らしかったので一度紹介させていただきたいと思ってました。色々な方に是非読んでいただきたい、と思ったのは一番ですが、読んだ際にあまりに感動して切り抜いて、私の10年日記にはさんであり、今はまだいいけれど、あと20年もしたらきっと色が褪せて読めなくなってしまう前に、ブログに書いておけば一生大事にとっておけるかしら、とも思いました。ということで自分自身のためでもあります。
以下青字になっているものが木内さんの「寂しさの考察」です。


 だいたいにおいて、私は寂しい。状況的に、というよりも気持ちのどこかで寂しさを感じている。とはいえ一応家族もあるし、学生時代からの友達や信頼できる仕事仲間にも恵まれている。なんだ、それじゃあちっとも孤独とは言えんだろう、と呆れる向きもあるかもしれない。でも「孤独」がすなわち「寂しい」とは限らないのだ。ある人にとってそれは、至福であり悦楽である。私もまた、孤独を好むひとりだ。
  では、この始終つきまとっている寂しさはなにか? といえばそれは、とてもおおげさな物言いになってしまうが、有限なものに対してつい抱いてしまう感情な のだと思う。人にしても物にしても、そのほとんどは、永遠に同じ形をとどめることなどできない。本ひとつとってもそうだ。装幀(そうてい)作業の際、指定 通りの色が出るまで何度も印刷所に刷り直しをお願いすることがあるのだが、これほど手間をかけて作ってもカバーの色味は、いずれ日焼けや経年によって様変 わりしてしまう。本棚にさしておいたために、背表紙だけあせてしまったりもする。そんな未来を知りながら、それでも作り手は細部にこだわり、内容にふさわ しい装幀を突き詰めるわけである。
人もまたしかりで、どれほど誰かを大事にし、どんなによい関係を築いたとしても、未来永劫一緒にいることはできない。どこかで必ず別れが来るし、いつかは自分自身とも切り離されてしまう。そうと知りながら、日々を送る中で誰しも、さまざまに考 えたり悩んだり感じたりしている。そこで生じる、正直で真摯でその人らしい内なる声のほとんどは、心中をのべつまくなしに垂れ流す人は別にして、基本的に 本人しか知り得ないことだったりする。
 例えば私が、小腹が空いてひとりで蕎麦屋に入ったとする。別に期待もせずに出てきた 蕎麦をたぐると、驚くほどうまい。「おお!」と胸中で叫んだ声を、しかし誰も知らない。また例えば、話し相手にこちらの意図がうまく伝わらないとする。諦 めて黙ったあと、「そうじゃないのになぁ」と思ったのも、私だけが知ることだ。ささいな事柄だが、こうした思いはいずれも、一度も表に出ることなく、いつ か私とともに消えてしまう。そう考えればやはり寂しい。
 けれどこうした寂しさには、なんというか、独特の甘やかさが含まれているような気 がするのだ。色あせた本も、ペンキのはげた建物も、すり減った靴も、そのもののあるべき形こそ失ってはいるが、とても美しく見える。それらが経た、語られ ることのない日々が無二の美しさ愛おしさを形作るのである。
「今」は次の瞬間「過去」になり、人も時を経る中で、外見や考え、価値観を変じていく。その過程で語られることのなかった思いは、単に蒸発して消えるのではなく、個々の内に堆積して、その人特有の風味を生みなしていくのではないだろうか。
 かつて、建築を専門にしている知人が言っていた。
「汚れが簡単に落とせて手間いらずの外壁や建材ってあるでしょ? あれって便利なんだけど、古くなったとき、ただ薄汚くなるんだよね。いい朽ち方をしないの」
 寂しさというのは、マイナスの印象が強い感情だけれど、忌み嫌うものではない。むしろ、手の平で慈しむようなたぐいのものではないか、と思っていたりする。



色々調べると、偶然にも本当にほぼぴったり4年前(今日は2016年の2月8日)の2012年の2月9日の日本経済新聞の夕刊に載っていたものでした。会員登録が必要ですが、日本経済新聞の電子版でもまだ読めるようです。

木内昇さんは女性の作家さんなんですが、すごい才能の方ですね。この文章が本当に好きで、何回読んでも読むたびに感動してしまい、孤独の中にある幸せをかみしめてしまいます。



FC2カウンター
バルセロナ
全記事表示リンク
最新トラックバック