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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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モーゼル川沿いの町 コッヘムへの遠足 その2

そしてお城の中庭に出ました。
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少しおとぎ話の「いばら姫」みたいな感じです。
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その後はこんなケ-キ屋さんに入り
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フル-ツヨ-グルト味ケ-キを食べました。
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内装はこんな感じですが、モ-ゼル川を見渡せるテラス席もあります。2階からの眺めも良さそうです。
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素敵な階段には
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日本のお人形がありました。
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Café Flair という名前のカフェなんで機会がコッヘムへ行かれる機会があれば是非行ってみて下さい。
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トルテだけではなく、焼きたてワッフルを食べているお客さんもいましたよ。
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街はとても小さくて会っという間に散策できてしまいます。

今回も長くなったので次回3に続きます。

モーゼル川沿いの町 コッヘムへの遠足 その1

1週間くらい前ですが、ワインで有名なモ-ゼル川沿いのコッヘムという町へ主人の勤める研究所の主催するバス遠足に参加して行ってきました。インタ-ナショナルクラブ主催の一月に一度くらいのバス旅行はバス往復に何かの美術館、博物館のチケットまで付いて、大抵20Euroくらいで行くことができるので、時間が合えば参加することにしています。

それで町に着いて、まずは標高154mの山の頂上にあるライヒスブルク城(通称コッヘム城)へ。
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入り口にある鎧兜の騎士ですが
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なにが書いてあるかと思えば
「お城の酒場   焼きソーセ-ジ ザワークラウトとマッシュポテト添え」と書いてありました。
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お土産屋さんでガイドさん付きチケット(6Euro)を払い、旅の守護聖人クリストフォロスの下へ。
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このお城は11世紀半ばにライン地方のプファルツ伯爵の居城で、その後、ハブスブルグ家やナッサウ家のドイツ・ロ-マ皇帝の帝国城となり、1294年にトリアー大司教の所有になりました。1689年にフランス軍によって破壊され、それ以降廃墟になっていましたが、1868年にベルリンの実業家が城を買い取って再建したとのことですが、現在は市が所有しています。

この時、2人のフランス人と一緒に行ったのですが
「このラインやモ-ゼル辺りはいつもフランス軍に破壊された話が出てくるのよね」とヒソヒソ話していました。
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最初の入り口
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そして大平間にはいりました。
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窓際の椅子を良く見るとこんなかわいい細工が。
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窓の格子越しに見えるモ-ゼル川
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この女性には秘密があります。
彼女のお腹の丸い辺りを触ると願いが叶うというのです。
私はとても頑張ってジャンプしたんですが、どうしても届かなくて、フランス人の友人が手伝ってくれましたが、やはり無理でした。
残念。。。
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きれいなステンドグラス。
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鎧兜の広間に来ました。
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この部屋のテラスからモ-ゼル川を見渡すことができました。
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とてもきれいな眺めでした。

長くなったので次回に続きます。



ケルン大聖堂-三人の博士 巡礼の日

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ケルン中央駅を降りるとそびえ立つ大きさのケルン大聖堂にて、この金曜日から日曜日までは゛三人の博士゛の特別な巡礼の日でした。
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イエズス様がお生まれになった際、東方から駆けつけたと言われている゛三人の博士゛(ドイツ語では三人の王様 Drei König とうい名前ですが)の遺骨はなんとケルン大聖堂に祀られています。
もともとミラノの大聖堂にあったものを、神聖ロ-マ皇帝だった赤毛のババロッサという異名を持つフリ-ドリッヒ1世が奪ってきたの
が1162年、それ以来、この゛三人の博士゛の聖遺骨はケルン巡礼の大目玉となったわけです。
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この数日の巡礼の間は、なんということかこの棺の下を通ることができるという、普段では考えられない有り難い経験を体験できるということで、私も行ってきました。
だって、これをすると奇跡が起こると言われているんですよ、絶対行きたいではないですか!
それに、運がよければ棺の中に納められている゛三人の博士゛のお骨を見る事が出来る時もあるとのこと。
下をくぐっただけで奇跡が起こるなら、聖遺骨を拝見できたら、どんな良い事が起こるかもしれません!!

巡礼のコ-スである、「旅の守護神クリストファ-」「ミラノのマリア像」「ゲロの十字架」「装飾マリア像」の前でも一応敬虔な気持ちで十字を切り、゛三人の博士゛の聖なる棺の下は神妙な面持ちで歩ませていただきました。
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棺にしても、こんな近くで見られることは滅多にないくらいですから、本当はそれだけでも昔の人には奇跡的なことだったでしょうね。
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またこんな日のせいなのか、とても素敵な中世的なコスチュ-ムの女性達がいて、あまりに素敵なので聞いてみるとスペインからの女学生グル-プとのことで、この中世的な衣装は大学のユニフォ-ムということでびっくりしました。
伝統を重んじる、そしてとても敬虔なさすがスペイン! と感心してしまいました。

奇跡が起きることを願いつつ、もしなにか私に良い事が起こったら、またこちらに書かせていただきますね

長男の幼なじみ君達

昨日もまた15時からの長男のホームでの試合を見に行きました。
長男のチ-ムは下の方の8部リ-グ(ドイツは全部で11部)なんですが、なんということかこのシ-ズン4試合連続勝ち点を上げていて、1位。
このまま行けば7部昇格も夢ではないんじゃないか、というような雰囲気がチ-ムにも漂ってきているような最近らしいのですが、昨日は1対1から2対2になってからが長く、後半残り20分で3対2、最後4対2にしてなんとか逃げ切りました。
勝ち点15点になり、首位の座をキ-プできた昨日で、接線だったということもあり、久しぶりに手に汗にぎる感覚を味わいました。

うちの長男の試合にはどういうわけか昔のチ-ムメイトや近所のお嬢さんも毎週のように見に来てくれているんですが、昨日は久しぶりになつかしい顔を見つけました。
幼馴染の3人です。
この3人と長男は、幼稚園から小学校、ギムナジウムまでずっと同じクラス、9歳のコミニオンというカトリック信者の大切な儀式も一緒にし、13歳くらいまで同じサッカ-チ-ムで過ごしていました。
みんな家も近く、特にR君は2軒隣だったので、私は彼に関しては乳母車にのせられていた頃から知っていますが、他の子もみんなのことも幼稚園時代から知っています。

この3人と長男は4人グル-プで長年何をするのも一緒で、サッカ-以外にもテニスも6年ほど一緒にしていたともありますし、うちの長男の今までの21年間の人生の中で間違いなく兄弟よりも長い時間を一緒に過ごした彼らは長男にとって友達以上兄弟くらい、という存在であることは間違いありません。

そのうちのL君とはなんと大学の学科まで同じ、その中でくじ引きで決めた5人グル-プでも一緒(300人中)、ただ優秀な彼は3年で学士課程を終わり、うちの長男はあと1年学士課程を続けなければならず、あとのR君、A君もそれぞれまた違う道で頑張っています。

試合の前の日にこの4人で近所にバスケットボ-ルをしに行っていたのは知ってましたが、その時
「明日は何する?」
「自分は試合」
「俺、見にいく、自分の兄ちゃんと」
「あ、じゃ、俺らも」
というような会話があったのだと思いますが、A君以外の2人は随分前にサッカ-もやめてしまっていたので、サッカ-を見るというのも久しぶりだったことでしょう。

他にもこのA君のチ-ムは夏まで長男がいたチ-ムで、現在うちの次男がそこでサッカ-していますが、その次男とそれこそ幼馴染の友達もいて、その子達も長男のチ-ムの試合をよく見に来ているんですが、自分の兄が出ているというのに次男は長男の試合は見に来たこともないです、全く、自分が一番次男なんです。

sony 201710 011(1) (1)
それでこの写真は6年前、テニスの帰りに4人組とうちの次男、三男2人とアイス屋さんでアイスを皆で食べた時の写真で、実は私はこれは5年毎に同じ写真を撮る予定だったんですが、長男が
「そんなどうでも良いことのために皆をアイス屋に呼べない」というので、結局昨年も今年も機会がないまま、時だけが経ってしま っています。

ですがせめてあの頃、まだみんなが少年だった頃ににこんな写真を撮ることができただけでも本当にラッキ-でした

私の方は諦めず、またこの6人で写真を撮ることが出来る日を虎視眈々と狙うことにします



リンブルグ公国について

それで前回のそのリンブルグ公国について自分なりに調べたことを他のサイトにまとめたんですが、今回それをこちらでもそのまま記載させてもらいますね!

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(緑の部分が昔のリンブルグ公国の地域)

その昔リンブルグ公爵の所領はリエージュ州北部から、現在のベルギー・オランダの両リンブルフ州、さらに現在のドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州の一部にまたがっていた広大な地域だったということで、そのため今でもリンブルグという名前は、ベルギーとオランダにそれぞれその名前の州があり、ドイツにもリンブルク・アン・デア・ラーンという名前の町があるのだが、そういうわけでこの地域がリンブルグ公国に関係があったということが想像できる。

また今でもリンブルグという名前は、

1.発祥の地 リンブルグ村(リエージュ州・州都リエージュ フランス語のワロン地域)

2.リンブルグ州(ベルギーの1つの州・州都はハッセルト フラマン語のフランドル地方)

3.リンブルグ州(オランダの1つの州・州都はマーストリヒト)

4.リンブルク・アン・デア・ラーン(ドイツのヘッセン州の町で面積は45,15 km2、人口35,000人の町、州都はヴィースバーデン)

と、ベルギー、オランダ、ドイツにそれぞれ4つの違う地域や町や村に名前が残っているのだ。

もともとリンブルグ公爵家のリンブルグ城は、1020年頃にフレデリック2世が古い王室の領地バーレンのヴェーザー渓谷(発祥の地の近くの川)にリンブルフ城を、中世の要塞城として建てたのが最初なのだという。

その後、1280年の最後の公爵と1283年の相続人の死後にリンブルクの継承戦が勃発し、ウォーリンゲンの戦いにおいて、その勝者であるブラバント公爵がリンブルグ公爵の称号を獲得、またブルゴ-ニュ(ブルグンド)公国、その後はドイツ神聖ロ-マ帝国領に属し、ゲルデルン公国、ユーリヒ公国、リエージュ司教領、ケルン大司教領によって分割統治されていた一帯でもあった。


また1549年ドイツ神聖ロ-マ皇帝にしてスペイン王のカール5世によって、ネーデルラント17州がハプスブルク家に統合され、ナポレオン時代にはフランス帝国に併合された後、またその直後のウィーン会議にて1815年にはネーデルラント連合王国領となる。

ところが1830年に今度はネーデルラント南部諸州がベルギーとして独立すると、リンブルグはベルギーの支配下に置かれるのだが、それからまた1839年にはリンブルグの東側半分がオランダ領、西側半分がベルギー領として分割されることになるという大変複雑な公国でもあった。

実はリンブルグ公国を代表する街でもあるマーストリヒトとリエージュはオランダ・ベルギーという違う国でありながら良く似た街並みで、なんとなく不思議に思っていたのだが今やっと私にもその理由がはっきりとわかった。

しかし何度も色々な国に支配された後、やっとオランダ・ベルギーに分割されて現在の状態になったものの、オランダ側のリンブルフは、1866年まで「リンブルク公国」の名でドイツ連邦に属していて、「公国」の名は、その後も1906年まで州の公式名称であったというのだから、今の私達が「リンブルグ公国」はどこか懐かしい響きの名前と思うのも無理はないのかもしれない。

100年前までこの公国は名前としては残っていたということなのだから、それほど大昔という話ではないということだ。

リンブルグ公爵家の血筋は1280年には途絶え、実際には色々な公爵や司教区、また色々な国に支配されていたため、その実態は簡単には説明できないのだろうし、また非常に複雑でわかりにくいものの、近郊の権力者達が手に入れたい魅力ある国だったということは間違いない。

リンブルフ公国は、ヒースや荒れ地の森林地帯(南東部のヘルトゲンヴァルト)の大部分から成っていたが、14世紀に繊維産業が、陶器は15世紀から栄え、公国をはるかに超えて認知されていた。

また同じ頃15世紀には、豊富な鉱物資源(鉄鉱石、鉛、ガルメイ)の普及が始まった。鉛とガルメイの特に豊富な鉱床は、前政権の終結後、プロイセンとオランダの両方から非常に求められ、前回の「中立モレスネット」の成り立ちとなる、非常に魅力的な場所でもあった。

またこの地域は美しい景観の街が多い。気候は北方地方と違って昔でも多少は温暖であり、冬もそれほど厳しくはなかったことだろうし、もともとロ-マ時代のベルギカの道(ローマからケルン方向に来て、現在のベルギー、オランダ辺りを抜けてイギリス・大西洋方向へ抜ける道)にもかぶっている辺りなので、ヨ-ロッパ人には馴染みの深い愛着を感じる地域のひとつだったのかもしれない。


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(こちらはどの公国や司教区にどの年代に属していたかが書かれています)

以上、ということで今回はリンブルグ公国についてあれこれ書かせてもらいました!
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