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マルゴママ

Author:マルゴママ
ドイツ北西部の片田舎でかれこれもう20年生活しています。
ドイツ人の夫と3人息子、そして一人娘(?!)の猫クレオとそして雄猫シザ-リオと共に、ドイツの子供の学校と大学生活、ドイツサッカ-もたまに、空手や他のスポーツ、またドイツの村での生活風景を気のむくまま綴っていきたいと思っています。
 


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五月祭りのパレ-ドと舞踏会 その1

先週は我が家は村の五月祭りで忙しく過ごしていました。
五月祭りには主役の「五月の王様」「五月の女王様」と、準主役の「五月の伯爵」「五月の姫君」四役がいて、うちの長男が今回は「五月の伯爵」という大役を「五月の王様」から仰せつかったからなんですが、今回の「女王様」と「姫君」はうちのお隣さんの姉妹で、妹さんが「女王様」でお姉ちゃんが「姫君」でした。

まずは家族や親しい人達が、「五月の王様」のプライベ-トパ-ティに呼ばれるところから、最後の大パ-ティ前のパレ-ドは始まりました。
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ここでは簡単にシャンペンなどを飲み、小一時間程皆でなごやかに歓談した後、こんな鼓笛隊が四役をお迎えにやってきました。
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まずはこんなかわいい女の子達軍団が通りすぎ
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かっこいい鼓笛隊
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ここから美しいドレス姿の女性達のパレ-ドが始まります。
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「五月の王様」「五月の女王様」を筆頭に、「五月の伯爵」「五月の姫君」が続き
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近隣の村々からも他のマイクラブ軍団が集まり、200人以上の大パレ-ドを迎えます。
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何度見ても美しい若い年頃の女の子達の色鮮やかなドレス姿。
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まるで御伽の国のお姫様たちのようです。
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パレ-ドは1時間ほど続き、うちの人口770人の村にも見学者がたくさん来て、このまま皆で舞踏会会場へと入場となります。

今回も長くなりましたので、舞踏会の様子はまた次回とさせていただきますね


宗教を子供に押し付ける゛文化的虐待゛

こんな風に宗教について考え込んでいる時、「親が宗教を子供に押し付けるのも虐待のひとつ」という記事を見つけまして、
身体的虐待・心理的虐待・性的虐待・ネグレクト(育児放棄)、経済的虐待風に言うとすると、宗教を押し付けるのは゛文化的虐待゛というのだそうです。

私のそのインドネシア人の友人は、お嬢さんにドイツ人の彼ができたことを境にお嬢さんとは現在では連絡を取らない関係になってしまったのだそうです。
実はそのお嬢さんというのは、ギムナジウムを1番の成績で卒業し、大学では物理をこれまた優秀な成績で勉強中、将来はどんな素晴らしい未来が開けているのだろう、こんな娘が欲しいものだ、と誰もが思うような才女であり、その上ものすごく美人で素敵な女の子です。
長年に渡り、友人一家の自慢の娘であったというのに、ドイツ人の彼氏ができて、一緒に旅行をしたいと言っている、というだけで縁を切るとは理解不可能です。
ドイツでは17歳くらいでもカップルで旅行へ行ったりすることもあるでしょう、彼女はもう22歳なんですよ。

また長男と次男君にはここの村の行事には一切参加させず、孤立させていました。
というのもこの村の行事はキリスト教に基づいたものが多いという理由からなんですが、村祭りへも行かせない、というのは、彼女の宗教の押し付け以外の何物でもないと思います。

そうかと思えば、うちの村からはスク-ルバスが出ていて、7歳にもなれば毎日自分でバスで町の学校まで行くのが普通なんですが、身長が170cm以上はある16歳の次男君を「あの子は小柄だから可哀想で」と朝とお昼過ぎ、一日2回の車での送り迎えをしているのは、まさかコントロ-ルのためなんじゃ、とも思ってしまうほど不自然としか思えません。

真ん中の長男君は反抗してうちの次男と遊び歩いていますが、彼女が私のお母さんだったら間違いなく、ぐれていたと思うので、そこのお子さん達はみんな我慢して偉いな、と思うほどです。
…というか、少し悪さもする長男君がもしろ、まっとうに見える最近です。

長男君はイスラム教もあまり信じてはいないそうで、家に帰ってお母さんに、お祈りしなさい、断食しなさい、などと言われたら、私ならぶちきれそうです。
なぜ彼女にとって、人生の中で自分の子供より宗教のほうがそんなに重きを置けるのか、どうしても理解できないのです。
現実に目の前にいる子供より、見たことも会ったこともない神様の方を愛することができるのでしょうか?
こんな風に考えると、宗教とは洗脳に近いものと思うようになってきます。

現実の目の前にある事柄より、経典に書いてあることの方が大切だと思うなら、そもそもなんのために子供を産むんでしょうか?
自分を見てくれない、見ているのは自分の宗教の神様だけという、そんな親のもとに生まれてくる子供はどう考えても可哀想です。
なので、これが゛文化的虐待゛というものであるとは、大きくうなずくことができます。

親であれば
「この神様を信じなければ天国へは行けないという人の話は絶対に信じてはいけないよ、その人は自分の知らないことを平気で言うことのできるとっても嘘つきな人だから」と、このくらいのことを言ってあげるのが本当だと思います。
子供を本当に愛するという気持ちは、宗教も超えるものではないのかな、と思うのですが、宗教に偏狭な人はそれも理解できないようなので、ますます罪深いと思います。

20年くらい前に、どこだかの宗教を信じている両親が子供への輸血を拒み、子供が死んでしまったというようなことがありましたが、
人と言うのはこんなにも簡単に色々なことを信じてしまえる、本当に弱いものなんですね。

何十年後かにいつか目が覚めて、自分達のした大きな過ちに気づくことができれば亡くなったお子さんもうかばれることでしょう。

゛百害あって一利なし゛なんじゃないかと思う宗教観だけは人様に振りまかないようにしてほしいものです。



イスラム教徒の友人との最近の出来事 その2

前回の20年来のママ友のイスラム教徒の友人に対して私がどのように返事をしたか、書くと言ったままずい分と時間がたってしまいましたね。色々忙しくしておりました。すみません。

彼女からのモスクへ行く誘いを受け、今回は正直に言うのが一番だと心を鬼にして答えました。
「ごめんなさい、好奇心で聞いただけで、今モスクへ行く必要はありません。そもそも私はイスラム教のような強い信仰心が必要な宗教は信じることはできません。それにあなたとは宗教の話はしたくないんです。あなたと私は全然違う方向ですよね。それでもあなたにとって私は友人でいられることを願っています。」
彼女からの返事は
「もちろんイスラム教でも、また一般的にも人に宗教を強制することはできません。皆自分の信じるものがあるのは当然です、だからあなたが私と宗教のテーマで話したくというのは理解します」と言ってくれたので、そこでやめれば良かったんですが
「私は日本人ですから、八百万の神を信じることはできても、たった一人の神様だけを信用することはできないです」
と書くと、彼女からのメッセ-ジはそれっきりなくなりました。
私からもその後何も書いていないまま、2週間が過ぎているので、次回どんな風に会えばいいのか、正直困っています。

この私の八百万の神様全面肯定発言はヨーロッパ人と話していても、大抵は妙に思われます。
キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒は同じ神様を信仰し、その中で諍いをしているわけですから、
「神様はたった一人だけ、複数の神様なんてあり得ない」というものすごい強いものがあるわけなんですが、私は日本育ちですから
「日本ではトイレにも台所にも神様がいるし、亡くなった方は仏様で神様のようなもの」とドイツで言えば、びっくり仰天、あり得ない、という顔をされますよ、大抵は。
なのでその時には
「でもギリシャもロ-マのたくさんの神様だったし、だいたいドイツも昔はゲルマンの信仰ではたくさん神様がいたじゃないですか、インドもそうだしね」と言うと、なんとか納得してくれますが、この件に関してはイスラム教徒だけじゃなくてキリスト教徒だって相当頭がかたいし、ユダヤ教徒にこんなことを言えば、一瞬でそっぽ向かれるかもしれないな、と思います。

…でもね、神様がたくさんいる日本だから、他の宗教に寛容で、なんでも受け入れる良い国なのにね、なぜたった一人の神様を取り合って喧嘩になるのかその方が私には理解するのが難しいのですけれど。。。

それで数日後にもう一人のやはり20年来のママ友グル-プの一人だったイギリス人の友人とこのテ-マについて話しました。
というのも彼女のご主人はパキスタン系イギリス人でイスラム教徒だからなんですが、彼女の人生で2度くらいしかモスクへ行ったこともなければ、彼女自身は改宗もしていないので(男性のイスラム教徒は異教徒の女性で結婚するのは許されていて、イスラム教徒の女性はイスラム教徒の男性ではないと結婚できないので、夫になる人は改宗しなければなりません)、まるっきりイスラム教には感心すらありません。
それでその22歳の息子さんに恋人ができたんですが、ドイツ人の女の子で気がきかない子であまり気に入らないのだそうですが(彼女が誰かを気に入るというのもすごくまれなんですけれど)、それでもイスラム教徒の女の子とつきあい、息子がイスラム教徒に改宗しなければならないよりは、まぁまし、イスラム教徒のお嫁さんは絶対嫌だと言ってましたっけ。

で、その一連の私達の話を隣で聞いていたドイツ人のカトリック教徒の友人は、
「でもやっぱりたくさんの神様は理解できないわ…」とつくづくつぶやいていましたっけ…。
宗教って本当に難しいです。

私の大好きな考えはカトリック系の小学校時代にシスタ-でいらした校長先生が
「全ての山の頂上は1つですが道はたくさんあります」というものでしたが、私はそれを
「だからどんな教えを信じても良いということなんだな」と受け取っていたわけで、多分先生もそのような意味でおっしゃっていたのでしょうけれど、欧米のキリスト教徒はまた違う感覚があるようで、私の敬愛していたシスタ-方のそのような感覚は、やはり非常に日本的な宗教観から来ていたのかもしれません。

ですが、国によって人々の考え方が違えば、宗教観が違ってくるのも当然のことですから、日本人でありながら、
「私はクリスチャンだからお寺も神社も行きません」という風になる方が、なんだか妙な感じと私は思うわけなんですが…・。

一番大切なのは自分の信仰を持っていても他者の信仰に寛容でいることだと思うので、それができないのであれば、良い友達でもずっとつきあっていくのは難しいということですよね。

あと宗教があってもなくても世界の人々の争いは減らないでしょうから、そういう意味では宗教って本当に役にたっているのかはわからないですよね。争う理由として役に立たなければ良いのにな、と思ってしまいます。

でも私も「なんで世界の人は日本のように宗教に寛容になれないのかしら」とよく思って口に出してもいるんですけれど、これも自分の考えの押し付けにならないようにしなければいけないのかな、と最近ふと思ったりした一連の出来事でした。


イスラム教徒の友人との最近の出来事 その1

私には色々な国から来てドイツに住んでいる友人がたくさんいるのですが、今回20年来の友人の1人をなくしてしまったかもしれない出来事がありました。

実は一度イスラム教徒の教会のモスクについて興味があって、彼女に根掘り葉掘り聞きたかったんですが、この半年くらい彼女がいやに私にコ-ラン(イスラム教の経典)を読むように薦めるようになったので、彼女に聞くのはやめていました。

彼女は頭にスカ-フを被り、豚肉は決して食べず、毎日5回くらい祈りを捧げ、ラマダンは毎年きちんと行い、他宗教の教会やお寺には入らない、かなり信仰心の強いインドネシア人のイスラム教徒です。
彼女にモスクについて聞けば簡単に的確になんでも教えてもらえるうえ、モスクへ一度言ってみたいと言えば、喜んで案内してくれることでしょう。

というのも昨年秋に近郊のケルンにヨーロッパで一番大きいモスクができて、昨年はそのケルンのユダヤ教のシナコーグへも行っていたので、両方とも一度自分の目で見てみたい、という単純な興味で行きたかったんです。
でもそんなことをお願いしたら、
「興味あるんですか? 是非一緒に行きましょう!」と彼女が喜ぶのは間違いなく、私は生涯自分がイスラム教を信じることはできないだろうとわかっているので、彼女を一時的にでもぬか喜びさせて連れていってもらうのは、なんだか少しだますようで悪いように思ったからなんです。
その上、最近の彼女の話題がどうしてもイスラム教の方向へ行きがちなので、もしモスクへなんて連れて行ってもらって、ますます彼女の勧誘運動に拍車がかかるのは正直たまらない、とも思いました。

最初にも書いたように彼女は私の20年来のドイツでの良い友人、次男とそこの長男君も大親友で、彼女とは永遠に良い友人でいたいのですが、最近の彼女の信仰心の厚さといえば、正直常軌を逸しているほどです。

彼女の説では、イスラム教徒以外は天国へ行くことができない、ということで、世界の人口が約75億人、その中でイスラム教徒は約18億人くらいだということですが、彼女の話が本当なら世界の大多数の人は天国へ行けないということになります。

だいたい自分達の宗教こそ一番真実である、とそう思える思考回路が、もはやまともな思考回路ではない、と思ってしまうわけなんですが、彼女から見ると
「かわいそう、何もわかってないから私が導いてあげなくちゃ」と思っているのでしょう。
彼女の勧誘は、とにかくイスラム教を信じていないので天国へ行けないであろう友人としての私の身を心配してという善意の気持ちからなのはわかっているんですが、
「あなたはあなたの天国へどうぞ、私は私の天国へ行きます」と言っても、
「いえいえ、他の天国なんてそんなものはないんです。コーランを読めば全てがわかるので是非読んでみてください」という返事。
「だいたい、見たこともない神様をどうやって信じることができるのですか?」と聞けば
「人の魂は存在しても見えないでしょう、神様も同じです。でも勉強すれば全てがわかるんです」と、もはやまともな会話としてすら成り立っていない状態です。

とにかく1から10までこういった状態なんで、最近彼女と話すのもいやになりかけていました。
そんな時、ちょうど友人宅にいる次男を夜に迎えにいけば、彼女の息子さんもいるではないですか!
「ラッキ-! モスクのこと彼にきいてみよう!」と、彼も家へ送りがてら色々聞けて満足でしたが、家に帰ると早速彼女からのメッセ-ジが届いています。
「息子から、あなたがモスクに興味があると聞きました、明日一緒に行きませんか?」

このメッセ-ジを読んで私は決めたんです、もうはっきり言ってしまおう、私はそういう意味では全く興味がないということを。

そのせいで彼女が傷ついてももう仕方がない、もし彼女が私を友人と思うなら私の気持ちも尊重してくれるはずだろうと…。

そしてついに彼女にはっきり返事をしたんですが、結局どんな返事をしたのかは、次回に書かせていただきますね、少し長くなりました。

メーデーの由来

少し古い話になりますが、5月1日は世界的には、「労働者の祝日」だということで労働者のデモなんかの日のように思われていますが、実はヨーロッパではもともとこの日の「メーデー」とは夏の訪れを祝う五月祭のことだったそうです。

もともとこの日は労働者と経営者の間に労使争議があっても、この日だけは五月祭のお祭りだから休戦しようということから始まり、それが1886年にアメリカで、合衆国カナダ職能労働組合連盟が1日8時間労働(当時の労働時間は12~14時間だったため)要求で発生したストライキをきっかけに、1890年には第1回の国際メーデーが実施され現在のメーデー=労働者の権利を主張する日に変化したのが120年ほど前というわけですが、うちの村や近郊の町では古き良き風習のまま未だに「夏の到来を祝う五月祭り」という認識の方が強いです。

なのでここに住んでいると5月1日はデモ行進なんかのある「労働者の祝日」という空気は全くなくて、
「マイフェスト-五月祭りを祝う楽しい日、ルンルン」という感じです。
正直、村人達の頭の中には
「頑張って労働者のための運動!」なんてことはこれっぽっちもなさそうです。

うちが田舎の村だからそうなのかと言えば、私は5月1日にたまたまケルンの街を歩いていたのですが、街の真ん中のマルクト広場に「労働党」か何かの出しているブ-スなどはありましたが、その真ん中にはやはり定番のビールやソーセージのスタンドが並んでいて、ここでも人々の頭はどちらかといえばお花が咲いているお祭り気分そのままという風でした。
ちょうど天気も良く、街の中はお店も開いていませんでしたが、幸せそうに散歩している人達がいっぱいでした。

ドイツというのは非常にお国柄があり、ケルンの街はドイツ国内でも一番お祭り好きな街と言われていて、ほがらかで明るい人達が多いのです。
なので東ドイツの方のデモ行進などをTVで見ると正直違う国のお話なのかと思ってしまいます。

マイクラブなどのクラブとしての成り立ちは第2次世界後のようなのでその歴史自体は70年ほどですが、それでも
「メーデー=マイフェスト」の歴史は500年くらいはあるんでしょうから、古き良き、そして楽しい(これが一番大事なようです!)伝統の方を選んだのがケルン周辺の人々なんでしょう。

明るく楽しいドイツの地域の話でした!


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